[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
「助かるかしらね」 空を打つバウルの翼の音と風をきって海を渡るフィエルティア号の甲板で、ジュディスが静かな声で呟く。リタは、後方へ浚われていく短い髪を忙しなく押さえながら萌えるような緑の瞳で話しかけてきた相手を見た。 青い触手を揺らす妖艶な姿に、どっちのことを言っているのかと訊ねようとしてやめる。多分、彼女はどっちも。そう答えるだろうと思ったからだ。 「…おっさんが生きてさえいれば、どっちも助かるでしょうよ」 ぶっきらぼうに答えて、リタはダングレストを飛び出して行ったというレイヴンのことを思う。 …あの約束はなんだったんだろう。 エフミドの丘から帰ってくるなり聞かされた話に、リタは疲労よりも先に虚しさを覚えた。 そりゃ、直前まで自分が護衛任務についていた依頼人がまさかキルタンサスの乾燥花を持っていたのだ。驚いてそのままその依頼人を追いかけて飛び出ていってしまう気持ちも分からなくはない。だが、それをしていいのは己がきちんと生きて戻ってこれる自信がある者だけだ。 けれどもう、ユーリを助けるためには飛び出していったレイヴンに賭けるより他の選択肢はないのだから余計に悪い。 無意識のままに右手の人差し指を齧る。第二関節のあたりに小さな歯の痕と鈍い痛みが残って、リタはしまったと隠すように傷口を指で撫ぜた。悪癖だとわかってはいるのだが、苛々したり考えに没頭してしまうとどうしても出てしまう。 「あんの、バカ。ちゃんと帰ってこなかったら承知しないんだから」 夕陽が完全に沈んだ水平線を一瞥して、リタは船室へと続く簡素な扉へと視線をめぐらせる。 キルタンサスの花を持つ商人ギルドのところへ行ったレイヴンを迎えに行くのなら、往復する時間を考えてユーリも一緒に連れて行くべきだというカロルの主張で、船にはユーリの他凛々の明星の全員が一緒になって乗っている。人数が増える分、バウルの足が遅くなるのではと危惧したのだが彼にも今の状況が分かるのか速度が落ちる様子はない。 この分ならそう時間がかからずにバクティオン神殿を越えてノードポリカにつけるだろう。 「オルニオンに幸福の市場の船が着いたのが昼過ぎと思えば、おじさま。どこまで進めているかしら」 「ノードポリカに近づくにつれて魔物は強くなっていくはずだから、願わくば日が暮れきる前にバクティオン神殿を通過してくれていることを祈るわ」 仰ぐように急速に闇が加速する空に輝くひとつ星――凛々の明星を見上げる。 エフミドの丘に出発する前に見たレイヴンの心臓魔導器の状態と、幸福の市場の女社長に聞いた直前の様子を統合して考えれば決して楽観できる状態ではない。むしろダングレストからオルニオン、オルニオンからノードポリカと移動していくことに耐えられているかどうかすら疑問だ。 否。とリタは悪い考えを追い出すようにゆるく頭を振る。 あのレイヴンがうまく立ち回れないはずは無い。ましてやユーリの命がかかっているのだ。自分が死んだらユーリを巻き添えにしてしまうことが判らない男ではないはずだ。 「リタ」 「なによ」 考えに沈んでいた意識を呼び戻されてリタは視線を上げる。思いのほか時間が経っていたらしく、眼前にはオルニオンの街の灯りが確認できる距離まで来ていたらしい。 「オルニオンね」 「えぇ。ここから真っ直ぐにノードポリカを目指したほうがいいかしら?」 「ううん、おっさんが通るはずのバクティオン神殿付近を一度旋廻して。姿が見えなければそのままノードポリカを目指すわ」 そう指示を出したところで眼前の森の中で微かな光が輝いた。太陽光によく似た、白いエアルの光。 「エアル?!」 思わず手すりから身を乗り出して光の痕跡が消えたあたりを確認する。一度輝いたっきり二度目は無かったが、それでもあの光は間違いなくエアルだった。 この世界で今でも術技を使うことが出来るのは、武醒魔導器を必要としないエステルとレイヴンの二人だけだ。だが、その片割れであるエステルは今もフィエルティア号の船室でユーリの看病をしている。 「ジュディス!」 「わかっているわ。バウル」 遠く空気を揺らす咆哮のような返事とほぼ同時に船が勢いよくバクティオン神殿間近の草原に降ろされる。夜の草原は、足元を照らす満月の光以外頼りになりそうなものはない。 「レイヴン見つかったの?」 船が降り立ったことを察して船室から飛び出してきた子どもに、これから探す旨を伝えてパーティーを二つに分ける。一組はこのままフィエルティア号の護衛。もう一組は、先ほどのエアルが収束した地点でレイヴンを確保することが目的だ。 心臓魔導器のことを考えて、リタと鼻の利くラピードでこのまま森に入ることを決めるなりラピードが勢いよく森の中へと走りこんでいく。 「ちょっと待ちなさいよ!犬!!」 追いかけるように迷い込んだ暗い森は、夜目が利かず歩いているのが道なのかそうでないのかも判断できそうに無い。だが、ラピードの後を追っていけば取り合えず船に戻ることくらいは出来そうだ。 ぐんぐん進む森の奥で、先を歩いていたワンコが鋭く鳴く声が響く。魔物か、と身構えたリタにの目の前にホーリーボトルから発せられる清浄な光と空気に包まれた男の影が目に入る。 「おっさん…!」 「リタっち?」 弱弱しい声に駆け寄れば、血染めの羽織のまま心臓魔導器を押さえたレイヴンともう一人見知らぬ男が助かった、と心底安堵したようなため息をついた。 |
前<< >>次 |