それから間もなく入れ替わりのように、やっとのことでシカゴシムの花を手に戻ってきたカロルとワンコの相手をするためにエステルが寝室を後にしてしまえば、そう広くもない寝室に二人っきり。 二人っきりになれば、それまで近づきたくとも実際に近づいて様子を伺うことのできなかった青年の側に寄りたいと思うのは仕方のないことだ。そう自分に言い訳をして、起き上がっていることを咎められないように息を殺してリビングの様子を伺ってから裸足の足をそっと床につけて立ち上がる。 立ちくらみ程度は覚悟していたのだが、予想以上に足元はしっかりしていて天才魔導少女に今にも止まりそうだなんて言われた心臓魔導器もしっかりとその役割を果たしている。 そのことに胸を撫で下ろして、レイヴンは自分のベッドから隣の青年が横たわるベッドの縁へと腰を下ろした。 体を温めるためにしっかりと毛布で包むだけでは足りずに、脇の下や足の付け根といった場所に動物の皮袋に沸かした湯を入れたものを当ててやる。そうすると、体液が温められて体に温度を保つことが出来るのだという。小難しいことは判らないが、それでもエステルが時間ごとに皮袋の中身を入れ替えているおかげでどことなく内に篭るような幽かな熱をたたえた青年の頬にそっと手を伸ばした。 あたたかい。 「はは、青年ホントに眠ってるだけみたいよね…」 ふと、その端正な寝顔にあの日も寝室の扉の向こう側で寝落ちてしまった青年を抱き起こしたことを思い出す。 「あんなところで寝ちゃうんだもん。おっさん、青年起こさないように気をつけてベッドまで運ぶの大変だったのよ?」 かさついた指でもう一度頬と唇に触れて灰碧の瞳を緩める。あんな後で、ベッドまで運ばれたことに気がついた青年が翌朝どんな顔したのかと思うと、思わずしてやったりの笑みが溢れてくる。 そんな小さなことで悶々とするようなかわいい性格はしていないだろうけれど、それでも目覚めたときに嫌悪以外の感情がそこに混じっていたことを願いながらまぶたに掛かる黒髪を払って、姿を現した額にそっと口付けた。 「…怒らないでよ?これは青年がおっさんを無理やりあーんな、むっさい弱小ギルドの護衛なんかに借り出したからその分の御だ―――い」 弾かれたようにベッドとベッドの間に置かれたサイドテーブルの上を見る。そこにはあの日自分が置いたメモ紙が、記憶と違わないままに置いてあった。 震える手で開けば切れ端のような羊皮紙に書かれた簡単な依頼の内容と報酬、そして己の汚い字が載っている。 ■依頼内容――キルタンサスを手に入れた商人ギルドのノードポリカ までの護衛。 ■依頼報酬――期間に関わらず五万ガルド。 呼吸が止まる。 震える手でもう一度一つ一つの単語に指を這わせながら読み返す。何度読み直しても消えないそれに、夢ではないことを確認して直ぐにでも伝えなければと羊皮紙を握り締めてレイヴンはリビングへと続く扉へと急ぐ。 裸足の足が冷たい床を二、三歩踏みしめたところで、突然床が柔らかな素材に変化してしまったかのような感触に変わる。また、と思う前に体はつんのめって肩ひざをついた。息が上がる。チリチリとした焼け付くような痛みが己を蝕むが、そんな事に構っている暇はないと右手で心臓魔導器を押さえ込んだまま勢いよく扉を開いた。 |
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