星喰みが消えて高く澄んだテルカ・リュミレースの空を見上げて、柔らかな風に揺れた刀の紐を左手にきつく巻きなおす。 この澄んだ空と引き換えに結界魔導器がなくなり、更には武醒魔導器まで使えなくなったことで増えた魔物と戦う者が一時的に限られはした。それでも、天と地がひっくり返るような騒ぎは起きていない。少なくともユーリが見聞きできる限りの世界では。 凛々の明星に幾つか舞い込んだ依頼がブッキングしたために、「依頼の管理くらいちゃんとやりなさいよ」とごねたレイヴンとリタ、果てはエステルまで引っ張り出してきたというのに一人だけで依頼をこなすことが出来ないユーリは、ぼんやりとケープ・モック方面へと続く大橋へと足を向けた。 ついて歩くラピードが案ずるような視線を投げかけてくるが、ユーリには笑ってその頭を撫でてやることしか出来ない。 依頼に参加できない理由はただひとつ。 世界中に貼られたユーリ・ローウェルの手配書のせいだ。似ても似つかない似顔絵と元が脱獄のみだったとは思えない程に跳ね上がった金額が書かれていたそれにユーリは苦笑するしかない。 流石にギルドの巣窟であるダングレストにその手配書はないけれど、他所の町へ出かけるたびに手配書を引っぺがして帰って来るカロルに言わせれば、帝都に近い街ほど未だに真新しい手配書が貼ってあることも珍しくはないのだと言う。 『あのヨーデルって人、約束ほんとに守ってくれるのかな』 あとエステルも。 ブッキングした依頼に出る前夜も、いつも通り持って帰った手配書を処分しながら口惜しげにその名を刻んだ子どものふっくらとした頬には、疲れと影が落ちていた。こんな紙切れ一枚のためにユーリがギルドの仕事に参加できない穴は大きく、小さな体にも疲労が蓄積しているように見えた。 『そうしたら皆で行けるのにね』 子どもの言うところの約束というのは、星喰みを倒したんだから何かご褒美くらいあったっていいんじゃないの。と誰かが言った冗談に、エステルがそれならヨーデルが皇帝になった恩赦をユーリに与えるというのは如何でしょうか。と細い指を胸の前で組んで笑ったことに端を発している。 当初はそんな莫迦な話、と思っていたことだったが数ヵ月前エステルを通してヨーデルが恩赦を出すことに同意したのだと報せがあった。 けれど、そこから話は遅々として進まないまま。 『ユーリだって帝都に戻ったりもできるようになるしさ』 なんで無くならないんだろう。 派手な音を響かせて目の前で黒髪黒服程度の特徴しか捉えていない手配書が破られていく。その散り散りに舞う紙切れを見つめながらユーリは深く暗紫の瞳を閉じる。 本当は恩赦が進まない理由を知っていた。 今でも自慢にはならないけど騎士団時代の情報網っていうのは生きてるのよ。と言うレイヴンを介して頻繁ではないものの帝都の噂は耳に入ってくる。 それに寄ればギルドと手を取ろうという年若い皇帝に反目する政敵は多く、その多くが評議会の過激派と呼ばれる貴族たちだ。彼らは双方の結びつきをどうにかするべく私兵を雇い、ギルドや貴族に害をなした罪人を法の秤にかけることなく断罪しているらしい。 さらには、さすがの新皇帝陛下も未だに逃亡を続けている罪人に恩赦を出すことは出来ないのだという。 再三再四せっつくフレンに聞かされた理由には、流石のユーリ自身もなるほど。と思わなくはなかったのだが、残念ながら一番の問題もこの恩赦を受けるまで最低でも一週間は投獄されなければならないというところにある。 過激派の断罪はエスカレートを続けていて、はじめこそ路地裏で。なんて話だったのだが最近ではついに、騎士団の管轄であるはずの牢の中でも行われたというのだから驚きだ。 つまりは恩赦を受けるために投獄されている間に過激派の餌食にならない保障がないのが現実だ。 『青年はさ、自分が紛れもない貴族殺しで、ましてやお貴族様のお仲間である執政官を屠って尚、恩赦を受けようとする不届き者なわけよ』 奴らが見逃すにはあんまりにも大きすぎる魚なの。 レイヴンのうすら冷たい指先が食い込むようにユーリの肩を握って、だから任務には出ないで。そう宣言してから早一週間が過ぎようとしていた。 一人ぼっちでダングレストに残された日々はあまりにも退屈で、みんなが居ないのを良いことに毎日こっそりと近場の森で暇つぶしを兼ねた魔物退治をしている。 今日もいつも通り大橋を半分渡ったところで、反対側から鮮やかな色の羽織と身の丈に合わない大きな鞄を振り乱した人影が街に走りこんでくるのが見えた。 |
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