Diamond Ф Bangle

「よ、おっさん。お早いお帰りだな」

 カロルもお疲れさん。
 カプア・ノールでの依頼を請け負っていたカロルとレイヴンが息せききって駆け込んでくるところに鉢合わせたユーリは、予定より数刻早く戻ってきた二人に軽く手を上げて労をねぎらう。
「ちょ、ちょ、ちょっと。ユーリ!どこ行くつもり?」
「そうだよ。危ないよ、出ちゃダメ!」
「…はぁ?」
 大小四つの手が押さえ込むように、ユーリの体に触れる。
 別段無理矢理外に出ようとしているわけではないので、その手のひらはむしろ、逆に息の上がっているレイヴンを支えるのに役立っている。
 世界から魔導器が消えてからというもの、一応心臓魔導器の定期メンテナンスを受けながら生きているレイヴンはいつからかあまり無理をしないようになっていた。
 天を射る矢の仕事も正直なところあまり請けてはいないらしく、もっぱらギルドとユニオンを立て直す仕事ばかりしていて、あれじゃまるで老人だよ。とハリーが馴染みの酒場でこぼしていたという噂が立つ程、最近のメインの稼ぎ口である魔物退治は請け負っていないらしい。
 直接そのことを問いただしたことはなかったけれど、それでもやんわりと心臓魔導器の調子が悪いのか。そう尋ねたことはあった。けれどそれ以上踏み込むなと拒絶されるわけでもない代わりに、明確な返事が返されることもない。いつもやんわりと口元にいつも通りの笑いを貼り付けて大丈夫。と繰り返すばかり。
 それが歯がゆいのだが、どうしても素直にそれを伝えられるはずも無く今も空で息をしながら癖のように左手で胸のシャツをかき抱く姿にぽつりと尋ねた。
「…痛むのか?」
 灰碧の瞳がぱっ、とこちらを捉えてかさついた唇が無音のまま大丈夫よ。と音にならない言葉を刻んで、ちらりとこちらを心配そうに見つめる少年の方へと揺れるような視線がうつる。
 ユーリはため息にもなりきれない短い嘆息をついて、ぐしゃり、とレイヴンの硬い髪に指を通すと無理矢理その頭を撫でた。
「カロル。それで、街を出るなっていうのは?」
「へ?あ、うん。あのね、昨日酒場で良くない噂を聞いたんだ」
「噂?」
「…騎士団長が直々に騎士の巡礼に出発した」
 カロルの言葉を受け取って、実際に酒場で噂を仕入れてきたのであろうレイヴンが低い声で呟く。
「それがどうした?」
 意味がわからずに首を傾げれば、洗いざらしの艶髪が肩をすべる。
 騎士団にいたことがあるとは言えほんの短い見習い期間をそこで過ごしただけのユーリにとって、騎士の巡礼とはお偉い騎士様についてまわり、帝都から離れた様々な町での治安維持を目的とするものだということしかわからない。(実際参加する前にやめちまったし)
「巡礼は治安維持が第一とされているけどね…正直なところ、帝都から逃げ出した犯罪者を捕まえるっている目的もあるわけ」
「そりゃ治安維持だからな」
「でもそれにわざわざ騎士団長様が出てくると思う?」
 問われてユーリはわずかに首を捻る。
 アレクセイが団長だった頃はあちこちに団長閣下御自ら出歩いてはいたけれど、あれは良からぬ思惑があっての行動だったのだからあまり参考にはならないだろう。ならば、と星喰みが消えて以降のフレンを思い起こしてみれば帝都と騎士団のもう一つの拠点を置いているオルニオンを往復するばかりで、巡礼も騎士たちの配置をするだけで自分が動くことは無かったはずだ。
「つまり、それほどの大物を捕まえようとって話」
 肩に手をかけられて耳元で囁くと、とん。とレイヴンの指がユーリの胸元をついた。驚いて見下ろせば灰碧の瞳とかちあって、苦笑するようにレイヴンの口も音が歪んだ。
 その時、カロルの小さな手が二人の体を思いっきり突き飛ばした。
「ぬお!」
「カロル?!」
「シッ!騎士団だ。フレンじゃないけど気をつけて!」
 カロルの声に脇道に身を隠す。暗がりからのぞく大通りには見慣れた鎧を身につけた数人の騎士たちがユニオンに向かって歩いていく。
 あの色はフレン隊だ。
 フレンも偉くなったもんだよなぁなんて、今更な事を思いながら見送れば殿を歩いていた騎士がふと、こちらに顔を向けた。ばれたか、と三人に緊張が走るが彼は鎧で覆われた視線を脇道に向けただけで何を言うわけでもなく通りすぎていく。
 その鎧の隙間からのぞく蜂蜜色の髪。
「珍しいね…騎士団がユニオンになんて。やっぱり噂どおり巡礼の目的地はダングレストなのかな」
 治外法権が認められているダングレストにおいて騎士団とギルドの争いはご法度だ。表向きはそう取り決められている以上、騎士団は指名手配犯の逮捕にも名目上はユニオンに許可を求める必要がある。
 だからこそ、ダングレストの外に出たら捕まったなんて話がギルド間では実しやかに語られているのだが。
 暗紫の瞳で殿の騎士が雑踏の向こうへ消えたのを確認してから、ユーリは背を預けていた壁から身を起こして体勢を整える。
「おっさん、カロル。出かけるからラピードと先に部屋に戻っててくれ」
「ちょ、どこ行くのよ」
「そうだよ!フレンがもうすぐそこまで来てるかもしれないのに」
 きゅ、と不安に揺れたまだふくよかさを失わない手がユーリの裾を掴む。旅の間に何度も豆がつぶれて硬くなったと思っていた子どもの手のひらだったけれど、こうして眺めてみればやはりまだどこか幼い。
 安心させるようににこりと口の端をあげて、刀の紐を手首に巻きなおす。
「大丈夫だって。それより早く依頼完了の報告しに行った方がいいんじゃねぇの?あの依頼今日までだっただろ、依頼人今頃首伸ばして待ってるぜ」
「え?あれ、今日までだっけ?」
 子どもが慌てて依頼完了の証明となる手紙を大きな鞄から取り出そうとしている間に、ひらひらと手をふって浮いた手をレイヴンの肩に置いて一段声のトーンを落とした。
「―――が――てる」
 さんざめくような雑踏の音にかき消されるかと思ったその言葉はきちんとレイヴンの耳に届いたようで、灰碧な瞳が見開かれたのを視界の端に捉えて小走りに騎士団の後を追いかける。
「夕飯作って待ってるから、ちゃんと帰ってきなさいよ!」
 背中から追いかけてきた声にわずかに口元を崩して、振り返ることもなくもう一度ひらひらと手を振り返した。
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