Diamond Ф Bangle

 空を覆う光が別たれた世界を繋ぎ合わせた。



 夕闇の迫る時刻。
 全ての目的を終えた後は懐かしい我が家へ帰るだけなのだが、それがなかなか難しい。今から帰路に分かれたとしてもパッと家に帰れるわけもなく、その上近くの街にたどり着く前には日が暮れてしまうのを避ける為に、最後の最後で野宿と相成った。
 豪華な夕飯でめでたしめでたし。とはいかないとは思っていたが、よもやこんな日常の続きが待っているとは正直思ってもいなかった。
「ここまで来て野宿とはね」
「仕方ないだろ」
 薪にするための枯れ枝を拾い集める赤い背中を追いかけて、短い下生えを踏んで歩いていく。針葉樹の森の中で木々の間から落ちる陽射しは、もう傾き出だしているのか足元が僅かに暗い。
 なるべく乾いた枝を拾いながらゼロスは幾度目かしれないため息をついた。
「なんか世界を一つにするとか、すげーことしたのに何にも変わんないとかある意味凄いよなぁ」
 世界がひとつになる瞬間を見ていたはずの自分でさえ、何が変わったのか良く分からないくらいだ。
 確かにテセアラとシルヴァラントを陸続きで行き来できるようになったのは最大の違いかもしれないが、そんなものはここからは見えないのだから実感がわくはずもない。
  (あぁ、でもマナが随分安定したのだけは確かな変化だ)
「太陽が北に沈むってわけでもないし、空が虹色にもなってないんだもんな」
「もしかしたら、何にも知らない奴なんか世界が統合したことにも気づいてなかったりして」
 ひゃっひゃ、と軽い声に振り返ったロイドが、両手いっぱいの燃料を抱えなおしながら困ったように笑った。その仕草は長い旅の間に何度も見てきたものだったはずなのに、今こうして全てを終えてみれば記憶の中よりも少し大人びて見えた。
 微細な変化にどう対応するべきなのか戸惑っている間に、ゼロスの腕の中にロイドが抱えていた枝が押し付けられる。
「は、ハニー?」
「真面目に拾えよ!夜中に足りなくなったら叩き起こすからな」
「ええー酷くない?」
「だったら真面目に拾ってくれよ」
 今日の当番は俺なんだから。
「へいへい、と」
 自分がここまでに至る間に拾った分も多いそれを抱えなおして、愛しのハニーご所望の枯れ枝を腕の中に足していく。深い森の中に枝なんて幾らでも落ちてはいるのだが、その中から薪に使える程度に乾いたものを吟味するのはなかなか難しい。
 初めて旅に出て燃やせる枝を拾って来いと言われたときは、本当にどうしようかと思ったほどだ。
 今でこそロイドくんには適わないものの、使える枝を瞬時に見分けて拾っていくことが出来るようになったのだから人間の慣れとは恐ろしい。
 そのまま黙々と地面を見つめたままに拾い続ければ、側からロイドくんの気配が消えていた。
 不安になってあたりを見回せば、どうやら知らぬ間に森の淵まで歩いてきてしまっていたらしい。総数こそ少ないが、森の外周に近いほうが陽に当たってよく乾いた枝が多いのだから当然といえば当然のルートだ。
 ここまで来ると木々の間から零れる金茜色が、ちかちかと瞳の底をやく。丁度、枝を拾おうと屈んだ体勢と同じ目線の高さにあるらしい。
「…真っ赤」
 眩しくて仕方がないと、光に誘われるように平原を望む高台に出た。
 一点の光源から放たれる光が大地も自分の肌さえ染め上げているというのに、空は天頂までをもう夜の衣に纏い変えていた。金と茜と藍と黒。なかなか幻想的な景色だ。
 休憩、と抱えていた牧を足元に置いて背を伸ばす。長いものから短いものまで不揃いの枝を抱えるのは、存外不自然な体制を強いられていたらしい。硬直していた肩から肩甲骨の筋肉が小さな悲鳴をあげた。
「ゼロス、」
 すぐ側からかけられた声に振り返れば同じように枝を抱えたロイドが眩しげに目を細めて立っていた。誰かが近づいてくる気配はなかったから、自分が来るよりも前からここに立っていたのだろう。
「すっげぇ、夕焼けだろ?」
「世界がひとつになってちょっとくらい太陽もデカクなったんじゃねぇの?」
「まさか」
 同じように抱えた枝を地面に下ろして、あたり前のようにゼロスの隣に立った鳶色の瞳が物言いたげにこちらを見る。ひたり、と見据る視線に含まれるのは色恋のような熱いものではない。
 何かしただろうか、と考えてはみるが思い当たることは何もない。ならばどう反応したものかと、首を捻ろうとしたところで視線が外れて赤いグローブの指が地平線を指差した。
「ずっと前にも見たよな」
「あれは朝日だったけど、ふたりでこうして。あの時も見晴らしのいい場所だった」
 覚えてるか?
 夜気を孕んだ風が飾り紐をはためかせる。
 忘れるはずなどない。はじめてロイドくんの真っ直ぐさを羨ましいと思った日のことを。光の裾野で、まだ意識のなかった少女が真っ直ぐにロイドを見つめていた朝の出来事。
 あの何とも言えない気持ちは直ぐに誤魔化してしまったけれど、確実にあの感情に名前をつけるならそれは羨望しか思いつかない。
 (裏切ろうとしてたくせに羨ましいとか、今思い出したって恥ずかしい)
「俺さま覚えてないなー?」
「あの時のお前、すっげー険しい顔してたんだぜ?それを覚えてないとかゼロスも案外都合のいい頭してるよな」
 しらを切ったゼロスとは対照的に、にやりと笑った瞳が悪戯っぽくこちらを盗み見る。だが、鳶色の瞳を捉え返す前に融ける金茜へとそらされてしまった。
「だからさ、もしかして朝日は嫌いだったのかなって。だったら夕日はどうだろうって思ったんだ。それを確かめてみたかった」
 もう一度。今度は真っ直ぐに鳶色の瞳が見上げたところでその思惑に気づく。
 まさか、もしかして。
「さっきから、俺さまが険しい顔してないか確認してた…?」
 ぱっと少女のように頬を覆えば、風に泳いだ紅色を追いかけていたチョコレートカラーが大きく頷いた。
 確かにこんな見晴らしのいい場所で大地に融けていくような夕焼を見ることはまずないが、好きか嫌いかを見るだけなら毎日のそれで十分でだろうに。
 口には出さなかったが言いたいことは伝わったらしい。言葉を捜すように口を開いた。

「そういうんじゃなくて。ゼロスの好きなものを一緒に見てみたいって思ったんだ」

 きっと。
 口にした本人は、それがどんなにか大事なことを言っているかなんて分かっていない。いつもそうなのだ。でも、だからこそその言葉を裏表なく信じることが出来る。
 それが、救いだった。
「じゃー、ハニー?今の俺さまはどんな顔?」
 緩みそうになる頬をわざとすましてみせれば、楽しそうな声が「変な顔!」そう答えた。




海の星