Diamond Ф Bangle

「イオン!」

呼ばれて静かに振り返る。その仕草は優雅。はい、と返事をした声はまだ高く清んだ少年のもの。

「どうしたんですか、ルーク」
「魔物が…っは、このあたりの奴ら昼行性のが多いから。ジェイドが。なるべく夜のうちに行こうって」

キャンプからさほど離れた場所に居たわけではないが、探し回ったのだろうか。ルークの息はぜぃぜいと上がってしまっている。

「わざわざ探してくれたんですか」

笑ってそう伺えば、頬を赤らめて強く頭をかいた。

「ありがとうございます。あなたが迎えに来てくれて本当に嬉しいです」
「そんなに言わなくても誰もイオンを置いていったりなんかしねぇよ」

照れに照れ、ついにはそっぽを向いてそう応えられる。顔はよく見えなかったが苦く笑っているようだ。
それを見、あぁやっと心の機微で変わる表情を取り戻しつつあることを知る。
ひどく、悲しいことがあって彼は血の証である赤い髪を短く切り落とした。変わりたいのだと、再会したときに彼は言った。
けれど立ち直ったとはいえ、仲間達と笑い合っているときでさえふいに彼の瞳は翳りを映すのだ。
否、常といっても良かった。
でも今は。

「よく、笑うようになりましたね」

本当に嬉しくて踊るような声に一瞬瞠目して、彼は緑の中に余すことなくイオンを捕らえた。返事はない。けれど唐突に開かれた。

「…駄目かな、」

絶望と不甲斐なさに後悔と、明らかな悔悟に満ちた言葉は夜風にも負けそうなほどに弱弱しかった。

「そういう意味ではありません!ルーク!」

強く名前を呼ぶ。

「わかってる…でも、やっぱり時々考える。笑ってたり楽しかったり、してていいのかなって」

グローブをしたままの手で顔を覆う。
泣いているのだろうか、と肩に手を掛けようとするのと同時に顔があげられた。涙の跡はどこにもない。

「ルーク…」

名前を呼ばれて彼は苦く微笑むと、小さく本当は笑っていいってわかっているんだとつぶやいた。
きっと彼は未だ、取り戻しはじめた感情を制しきれていないのだ。無意識に揺らめくことのない瞳を取り戻しても、また次の瞬間にはフラッシュバックされる感情に振り回されている。
暗く沈む彼から視線を外せば満点の星。

「ルーク。…星座の話を知っていますか?」

空を仰いだまま尋ねれば、虚をつかれたのだろう躊躇ったように返事が返された。
髪の毛座とか冠座?

「はい。でも僕がお話したいのは乙女座と獅子座です」

知っていますか?と重ねて問えば頭(かぶり)を振られる。
黄道十二星座を知らないことは珍しくない。古い時代にはそれらを使った占いというものがあったらしいが、預言が出て以後廃れていったものだ。
ひとしきり簡素な説明をしてから本題に入る。

「…ですから、獅子座のつぎは乙女座になるんです」
「獅子って空想上の肉食獣?」
「はい。乙女は人間の姿をしています」

夜空を見上げてあのあたりに見えるんですよ。と指差すが不慣れな人は無数の星屑から星座を探し出すのは困難だ。ルークもうーんと眉間に皺をよせて空を睨んでいる。
その姿がまるで問題の解けない子どものようでかわいらしい。自然、見つめる瞳が和らいだ。

「獣は本能を現しています。人は理性を。だから彼らは隣り合っているんです」
「なぜ、」

空を見つめていた視線がイオンへと戻される。そして不思議そうにかしげた首もとで赤い髪の毛が揺れた。その仕草を美しいとは感じなくとも自然と見入っていた。

「“人間”を現しているからです」
「理性と本能、どちらも人間が持ち合わせているものです。相反するものですがどちらも無ければ困ってしまうものなんだそうです」

話の真意を見分けられずに立ち尽くすルークに、ありったけの笑みを向ける。

「だから、ルーク。憂うことと喜ぶことも隣り合わせにあるのです。人間を現すものは全て隣り合い、その全てで人間を現すんです」

夜気に濡れ始めた柔らかな草を踏みしめキャンプのある方向へと体を回らす。数歩そのまま足を進め、立ち止まると手を後ろ手に組んで赤い髪の少年を見上げた。
笑みは湛えたまま。

「ルーク。あなたが喜ぶことを憂う感情を持つのはあなたが“人間”だからなんです。少なくとも僕はそう思います」
「…!」

「お願いします。躊躇わずに向き合ってください」

何を、とは問われなかった。聞きたくも無かった。
否。きっと彼にはわかるだろうと思って口にした。ずっと自分が思っていたことを。自分がそうだと信じていることを。
レプリカは人間とは違うのだと、思いたくはない。被験者とは確かに違うのだろう。それは劣化した能力や色素が証明している。
けれど、でも!この薄い皮膚の下で脈打つ心臓は何なのだろう。切れば赤い血が噴出すこの腕は何なのだろう。
生きているからではないのだろうか。
生きているだけでは人間とは違うのだろうか。
確かに獣だって生きている。血だって流れている。でも考える、感情も持つ。それは人間ではないのだろうか。
古い文献に著された表裏一体の感情が人間を現すのだと知ったときの喜びをどう他人に伝えられるだろうか。
まるで、自分の中にある憎悪も無意識下の愛情も肯定された気がした。

「イオン、―――――お前は」

呼びかけに僅かな笑顔だけを残して、そのままキャンプに向かって歩き出す。視線の先にキャンプの炎が見え始めた頃、後ろから柔草を踏みしめる足音が聞こえた。



ほら、あなたの指先
      
こんなにもしい