Diamond Ф Bangle

グランコクマ中の水路に桃色の花びらを浮かべて流したら、それはどんなに美しい光景だろうか。


皇帝が死んだら街中が弔意をこめて水路に花を流す。帝位の空白は寂しいものだが真っ白な花が流れていく様はさぞ美しく儚いだろうと、誰もがため息をつく。案の定、話を聞いたナタリアのロマンティックですわ。の一言に始まって口々に想像上の光景を褒め称えた。
水路に流された花々は脆く千切れてしまうこともあるが、殆どがそのままの形で宮城裏の大瀑布から落ちていく。
「だけど掃除が大変そうだなぁ」
想像の花が流れ着くところまでやってきたのか、ガイがうへぇと感想を漏らす。
「その通りです。宮殿裏の水溜めは大葬が終了する頃には大変なことになっています」
くっと眼鏡の位置を直しながら答えれば少女たちは夢がないだの、現実はそんなものだのと好き勝手に言い合っている。物見遊山の話の種としては十分だったのか、すぐにまた別の名所旧跡をジェイドに尋ね始める。
けれど、ただ一人。
緋色の髪を湿気の多い風に揺られるこどもは黙ったまま空に高く設けられた水路を見上げていた。



―――――指先の花束(恋仲指令より 14:告白せよ)




グランコクマ宮殿の中に用意された客間のテーブルに、小さな花弁の花が生けられている。メイドが毎日枯れた花を取り去り、水を変え、病がたちそうな葉を見つければ間引かれるそれらは今朝から黄色の小さな花に変えられていた。
名すらも知らないそのひとつひとつから、零れるようにあまい匂いがたつらしく窓を閉め切っていた部屋はちいさなその花に占拠されている。
そんな中、じっと春を待つ獣のように緋色のこどもがベッドに倒れこんでいた。
「…ルーク?」
どうしたものかと音素灯のスイッチに手をかけたまま名を呼べば、獣はのろのろとその身を起こし、子供の仕草で目をこすった。
「眠っていたんですか?」
「花、見てた。…いいにおいだなぁって」
花の檻を壊すのが忍びなく、ジェイドは持ち運びようの音素灯を灯すと橙色の光の輪がぼんやりと闇に落ちた部屋を照らしだした。
客間は宮殿の中で3番目に眺めのいいとされる大瀑布と外海を望む方角にある。ただ、市街地とは真反対を向くがゆえに日が落ちてしまえば部屋の中に外から取り入れることの出来る光源は無いに等しく、暗い闇に沈むばかりだ。
音を立ててテーブルに音素灯を置けば、僅かに部屋の中心だけがその暗さから解き放たれた様な、またはジェイド自身までも花の檻の中に自らも招き入れられてしまったのような錯覚を覚えた。
「これ、なんて花?」
ベッドから降りると裸足のままテーブルに頬杖をついてこどもが尋ねる。
「残念ながら、死体と譜術以外は詳しくありません」
「じゃぁ、」
「この宮殿のどの花瓶の中にも白い花が無いって知ってた?」
ぼぅ、と焦点の定まりきらない瞳で鈴生りの花を見つめていたのが急に意思を持ってジェイドを射る。
橙の光で血統を示す赤い髪は緋色から色を薄めていたけれど、瞳の色は逆に濃さを増したようにすら感じる。ジェイドは緊張しているわけでもないのに喉を上下させた。
「ええ、白い花は忌み嫌われていますから」
大葬を思い出すからかな。小さくつぶやいてこどもはテーブルの上の自らの腕の中に顔を埋めた。より光源に近づいた朱色は毛先から金色に染め替えられていく。
「白い花は一般の葬儀でも使われますし、死者の墓の前にも飾られます。…セレニアのように日の光の届きにくい場所でも咲くことから死者の花だと昔から伝えられているようですね。キムラスカではどうかわかりませんが」
こどもがそんな一般的な風習など知っているはずなどないと、わかっていながら付け加える。案の定こどもはふるふると首を左右に振った。
顔をあげるそぶりのないこどもに、ジェイドはため息をつくとお茶でも入れましょうと備え付けの茶器に手を伸ばす。かちゃかちゃと陶器の触れ合う音が響き、茶葉が入った缶を開ければまるで異質であるとしか言いようの無い紅茶の香りがこぼれた。
部屋に入ってきたときこそ花の檻の様だと感じたそれも長く居れば分からなくなる。こうして茶缶を開けなければ囚われていたことすら忘れてしまうところだった。
カップに琥珀の液体を注ぎ分けるとジェイドはこどもの側にそれを置いた。
「…いい匂い」
「ええ。エンゲーブ産の最高品種です」
笑って紅茶を勧めれば、こどもは両手で大事そうにカップを持って口に運んだ。
「なぁ、ジェイド。俺が死んだらきれいな色の花を流してくれよな」
「白、ではなく?」
“人”と異なることを酷く恐れていたくせに、奇特なことを言う。こどもは訝しげな表情から察したのかカップをソーサーに戻すと、座りなおした椅子の背に体ごと預けて僅かに嗤った。
「…白い花ならもう、貰ったから」
誰に、とは問えなかった。
問う前に名前を呼んで肩に手を置こうとした足が硬いものを踏んだ。ブーツの下から伝わる丸くて細い感触。
テーブルの下に打ち捨てられるように置かれたそれは暗い室内にいながら、神々しいばかりにその花弁が白いと判ってしまうほどの独特で強い芳香を放つ。
「―――っ、」
忘れかけていた香りが再び目の前に幾枚もの格子を下ろしていく。
ずっとこの部屋で香っていたのは小さな鈴生りの花などではなかったのだとジェイドが思い知るよりも前に、こどもは残りの紅茶を飲み干すとまた曖昧な視線で花を見つめて嗤った。
「大丈夫。ちゃんと死ねるよ」
叱咤することも激励することも出来ずに、立ち尽くす。
死んでくださいと言ったのは自分。死んで欲しくないと言ったのも自分。どちらも本心で、甲乙をつけがたいものではある。けれどどちらか一方を選び取らなければならないとき人は、理性か情のどちらかを天秤の上から掴み取るのだ。
そしてジェイドは確かに理性と、大勢の命を取った。
「ルーク、」
「ジェイド。俺は、証が欲しかったんだ」
空のカップをソーサに乗せると、ジェイドの足元から白い花を拾い上げる。ジェイドの体重で潰れてしまった茎を悼むように撫でてから、傷んでいない箇所にナイフを入れる。ぱつり、と乾いた音がしてだめになった茎がテーブルの上に転がった。
「ティアの言うとおり俺は俺自身に価値を求めてた。それは…否定しようがない。だけど、思うんだ」
白い花を花瓶に挿し足すと、こどもは不思議なほど穏やかに笑った。
「誰だって空が青かったら嬉しいし、好きな人が生きて側にいてくれたら嬉しい。…思い上がりかもしれないけどさ、俺」
一度切られた言葉ごと、ルークは真っ直ぐにジェイドを射る。
色を増した瞳はいつも以上に迷いなく見えてジェイドは僅かに後ずさろうとして、どうにかそれを思い留める。
「俺の好きな人に、そういうものをあげたかったのかもしれない」
誰に。
咄嗟に言葉がつまって、ジェイドの薄い唇は空を食んだ。
クリフォトの少女でも、偽の皇女でも、飛行艇の女操縦士でも、ローレライ教団の元導師守護役だって構わない。
このこどもの側には年の揃った少女たちがいて、その年齢ゆえの残酷さに晒される事もあるが彼女たちがこの子どもを好いていて、子どもも彼女たちをまた好いていることは誰もが周知だ。
「そう、ですね」
精一杯の虚勢を張ってそれだけ答える。
自分自身何をそんなに動揺しているのかジェイドにはわからない。いや、わかっていたからこそいたたまれずに眼鏡の位置を直すふりをしてそのままこどもから視線を逸らす。
これ以上こどもの告白じみた言葉を聞き続ける事は辛抱たまらず、窓を開けようと窓枠に手をかけたジェイドに結局は躊躇いがちな言葉をかけられた。

「だから、ジェイド。空が、青くなったら・・・笑ってくれ」

同時に開け放たれた窓から潮風が舞い込み、部屋を覆いつくすような花の檻を少しずつ壊していく。
「・・・アナタがいない世界で、わたしに笑えというのですか」
呟いた声は風に乗ってこどもに届いたらしく、ルークは小さくごめん。と今にも泣き出しそうな声で応えた。


お子様から告白!
ジェイドはもうちょっと前からルークの事がスキだって自覚している(設定)なのですが、
はっきりいってこの時点で失恋フラグバリバリすぎ(笑)
お花をくれたのはピオ様です。
2008/06/22
恋仲指令http://andon.sub.jp/title/index.htmlより 14:告白せよ