Diamond Ф Bangle

じゃぁな」って、手を軽く振り上げて別れた。

ジェイドとパーティを解消したのは、たった2度しかなくて(しかも1度は魔界に置いていかれた)いつも一緒に居すぎるから、明日会う約束とか「またな」なんて言葉があることもわからなかった。
それに。
ヴァン師匠を倒した後の世界で、俺とジェイドが一緒にいる姿はちょっと想像できなかった。


――――Dazzling (恋仲指令17:隠し事をせよ)



ナタリア以外の誰とも「また何日に」なんて約束をしたことがなかったんじゃないかと、気が付いたのは退屈でいじけた屋敷でのことだった。
約束をしなかったから、誰からも手紙も来ないのかなとか。
約束をしなかったから、このまま誰とも会うことなく終わるのかなとか。
色々なことを考えていた。
だけど、ラムダスが隠していた手紙をくれて。その中にジェイドからのものは無かったけれど、どんどん動き出した歯車みたいにまたジェイドと、皆と旅をするようになった。
旅をしている間は当然みたいに毎日一緒にいる。
『おはよう』も『おやすみ』も『いただきます』も『ごちそうさま』もあたり前みたいに一緒にする。
時々、ジェイドがグランコクマに仕事を片付けに寄るときは皆で朝『いってらっしゃい』をした。帰りはだいたいいつも夜中だったからアニスやナタリアはお帰りなさいを言ったことがない。
今日もジェイドの帰りは遅くて、もう宿の時計は0時をまわろうとしていた。
窓の外に立つ音素灯も0時をすぎるとわずかにその光量を落とす。
仄かに暗くなった部屋の中でルークは、まぶたを擦りながら気を紛らわそうと羽ペンを握りなおした。

「…まだ起きていたんですか?」
それからどのくらいの時間が経ったのか、驚いた。とばかりに声をかけられて本当はうとうとと夢の世界へ漕ぎ出していたルークは弾かれたように視線をドアを開けたばかりのジェイドに向けた。
まってた。とだけ応えて、眠くてひっつきたくて仕様がないまぶたをごしごしと手の甲で乱暴に擦り開ける。
「あ…おかえり。今、何時?」
「2時を回ったところですよ。まったく、お子様の起きていていい時間じゃありません」
着ていた軍服を脱いで、皺にならないようにハンガーにかける。毎日のこととはいえ、几帳面だなと思ってその仕草を見つめていたら黒いインナー姿になったところで振り返るなりルークの前髪をくしゃりと撫でた。
僅かに肌に触れた指先が凍えてるように冷たくて、俺は思わず肩を震わせる。ぶるり、と馬や犬がそうするような小刻みな震えに口の端だけを持ち上げて笑われた。
「すっかり冷えてしまいました。紅茶を入れますが一緒に飲みますか?」
「…のむ」
夜の寒さというのは、北緯や緯度にとてもよく比例していて、今までいくつもの街や場所を巡ってきたけれどどれひとつとして同じようなものがない。元々バチカル育ちという温暖な気候に慣れた体には、寒さが得意であるはずもなく寒い寒いと訴えては煩がられるのだ。
雪国育ちのジェイドには言われたくない!絶対暑いところが苦手に違いないとガイと言い合ったのはついこの間のことだったと思うのだが、実際のところ砂漠越えをしても汗一粒さえも流しているのを見た事がなかった。
だから、紅茶を淹れにソファを離れた後姿を見ながら冷えてしまいましただなんてただの方便であろうことは容易に想像がついた。大体にしてあの男の指先はいつでもうっすら冷たいのだ。

さぁどうぞと振舞われた紅茶には、よく眠れるようにとミルクがたっぷり入っていてうへぇ。と呻いたら飲みきるまで眠らせませんよ〜と楽しげに笑われた。
カップの中は紅茶と呼ぶには申し訳ない程度にしか色がついていない。むしろ真っ白。牛乳そのもの。
飲みたくない…と両手でカップを持ったまま上目使いにテーブル越しの大人を盗み見ればにこにことこちらの所作を楽しげに見守っていた。今更いらないと突っぱねるような酷なことも出来なくて、仕方なしに口をつけてみれば、想像以上にそれはあまく飲みやすい。
「…おいしい」
素直につぶやくと、ジェイドはまた笑った。
自分の分には数滴のブランデーを落としてあるという紅茶を、匂いを楽しむように口に寄せてそれから含む。その一連の所作が、本当にもとは庶民の出で、貴族でもなく軍人の家に引き取られたものなのかを訝しみたくなるほど優雅で。ルークは惹きつけられるように視線を奪われている自分に気がつくと、慌てて自分のカップの水面を睨んだ。
マナーや所作というものは、生まれではなく躾であるのだと最近になって思うことがある。
こうしてジェイドと差し向かいでティータイムを取っているとき、皆で食事をしているとき。ピオニー陛下にお呼ばれした日。いつでも、どこでも誰よりも自分の一挙一動が粗野で乱暴なものに見えてしまう。
そういえば家に居た頃ラムダスに口をすっぱくしてマナーが!と嘆かれていたような気もする。もうちょっと真面目に聞いておけばよかったな、と思うのは自分も少しは大人になったからだろうか。
でも、まぁ。目の前にいい見本がいるのだから追々目で見て覚えていくのも手だろう。
「どうかしましたか?」
知らず知らずカップの中の白い水面でなく、ジェイドのティーカップの持ち手に絡んだ指先を凝視していたらしい。言われて急に恥ずかしくなる。
「なんでも、ない」
「そうですか」
うん。だから放っておいて。
紅茶の温かさで急速に血流がよくなったのか、頬がじんわりと染み出すように熱くなるのがわかった。

ふたりで少ない会話をぽつりぽつりと交わしながら、紅茶を飲み終えると大きなあくびが漏れた。
「あまり夜更かしは関心しませんよ」
「…ジェイドが遅いからだろ」
目茶目茶な線が引かれた日記帳を勢い良く閉じて、荷物入れのなかへと仕舞う。羽根ペンはインクをぬぐって、インク壜はきちんを栓をして同じように放り込んだ。横目に見ていたジェイドが乱暴にするとインクが漏れますよと苦言を呈す。
「わかってるっつーの」
「…ルークは眠くなると機嫌が悪くなるのがダメですねぇ」
追い立てられるようにベッドに潜り込まされると、やっと体を横にしたことでなんとなく肩の力が抜けるのが分かった。
少しばかり緩んだ表情にジェイドは微笑み、再びルークの前髪をかきあげながら形のいい頭を広い手のひらで撫ぜる。
「明日は少し早く帰りますよ」
「…うん、」
「もうお休みなさい、ルーク」
髪の毛をさらさらと撫でられるのは子どもの様で好かないが、それでも他人の体温は心地よくて。横になってまだ数分もたたないというのにうとうととまぶたが重みを増していく。
一瞬眠りに落ちてまた目を覚まして。
「…ジェイド」
「はい?」
「また、あした、な」
暗いまぶたの奥でジェイドが首をかしげた気配を感じて、もう一度鈍くなった唇を開いた。
「あしたも、いっしょにいたい」
ジェイドを捕らえようと開いた瞳は、あっという間にジェイドの冷たい指先に覆われた。同時に訪れる夢うつつ。
そのままルークは深く息を吐くように眠りの淵に落ちていった。
それを確認してジェイドは眠る長く紅いまつげを光源のもとにさらした。ベッド脇の音素灯がまぶしいのではと心配したが、深いこどもの眠りは覚めそうにない。
「また明日…」
それは命の過信だ。
明日も明後日も、約束の日もその後もずっと生きていられると信じている。だからまたね。と手を振る。
目の前で眠るこどもにそんな悠長な時間はさして残されていないことをジェイドは知っていた。レプリカである以上、被験者が生きている以上、彼と彼の被験者の間にはやがて大爆発が待っている。
大爆発が起これば、このこどもは記憶だけ残して消え果てるのだ。
けれど本人ばかりがそのことを知らない。否、知らないで居て欲しいと思う自分がいる。
知ってしまえばこどもは変わるだろう。命の限りをしらない幼子だからこその無邪気な世迷いごとを嬉しく思う己の心すらもきっと、形をかえるに違いない。
傲慢だ。
くっ、と喉を鳴らして笑うとジェイドは、ゆっくりと腰掛けていたベッドから立ち上がると音素灯の灯りを消した。
音素灯の消える音とともに訪れた暗闇を睨みつけるとジェイドは瞳を伏せて、また明日。小さくそう呟いた。



2008/01/10
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