時には寄り道を。 かぁん、と高い金属音があたりの空気を震わせる。 同時に剣をしっかりと握り締めていたはずの右の手のひらに強い痺れを感じて、ロイドは握るものを失ったそれを呆然と見下ろした。 二刀使いであるがゆえにまだ左の手には馴染んだ重さの剣が残されている。けれど。それを再び目の前の敵に向かって振るうべきなのか否かの判断に迷う。 視界の端にはひと太刀目で弾き飛ばされた剣の柄と毀れた金属片が地面に落ちている。それはつまり、この魔物の外殻の硬さを意味しているのだ。 再び打ち込んでまた弾かれたら? 魔術の使えない自分にとって剣を失うのは得策ではない。そんなことは百も承知だ。なのに気ばかり焦って身動きが取れない。 どうする―――どうすればいい。 ごくり、と嚥下する音が自分の耳に響く。早鐘のような拍動から目を逸らそうとロイドは深く瞳を閉じて呼吸を整えた。 「――――――」 凪いだ心に漸くあたりを見回す余裕が生まれて、常よりも低い歌のような旋律が耳に届く。 「…輝く御名のもと地を這う穢れし魂に裁きの―――」 声を頼りに存在を探して背後をふり返れば、術の歓声は目前だ。 ならば、と手に残ったフランヴェルジュを真横に構えてロイドは敵の意識をこちらに惹きつけるように睨みつけた。せっかく術が発動しても敵が目標点から移動されてはたまらない。 それに囮程度なら剣を振るわなくても出来る。 「ロイド!」 手の甲で汗を拭うのと同時にゼロスが叫んで光が放たれる。今度は確実に効果があったらしく、断末魔の叫びを上げながら硬いばかりの体が霧散した。 「やった、か」 「おうおう危なかったねぇ。ハニー、剣は?」 「んー…切っ先が折れちまったみたいだな」 地面に垂直に突き刺さっていた剣を引き抜いて丁寧に見分していけば、刃毀れというには派手に切っ先が欠けていた。 「ありゃありゃ派手にやったね。そんなに硬かった?あいつ」 「手がまだ痺れてるぐらいにはな」 ひらひらと右の手のひらを振って見せて、ロイドはもう一度剣を見つめて盛大なため息をついた。 ちょっとした傷程度なら街の武具屋に持ち込むか、場所さえかしてくれるなら自分で応急処置的な細工をすることも可能だ。しかしここまできてしまうと流石に本職でなければ難しいだろう。 幸か不幸か毀れてしまったヴォーパルソードは養父であるダイクが、ロイドの為に手ずから造ってくれたものだ。魔剣のようにもう誰が造ったのかもわからない物より、出所がはっきりしている分確実に修理が出来る相手に渡すことが出来る。 それにトリエットとイセリアの丁度中間ほどの現在地から考えても、一度ダイクの元へ寄るのが一番良いだろう。 ちらり、と大分近くなったゼロスの蒼い瞳を覗き込む。視線が絡んだ瞬間に整った顔がにこりと笑みの形を取った。 「養父っさんのとこに行くんだろ?」 「遠回りになるけど、いいか?」 「だぁってこの旅は俺さまが一緒に行きたくてハニーについて来てるんだから、好きなように進めばいいんだって。俺さまはどこまでだってついていくよ」 軽い口調で知らぬ間に落ちていた肩を励ますように叩かれる。ぽん、と軽い音に視線を上げれば空は驚くほど綺麗な青色をmしえている。今日もいい天気になりそうだ。 「そうだな。久しぶりに親父やコレットのところに寄ろう」 *** 一度は災厄に巻き込まれた小さな村に足を踏み入れれば、すぐさまこちらを見つけた村人たちが声をかけてくる。 それはあら、珍しいわね。だったり買い物かい?とかダイクさんは元気かね?ちょっと仕事を頼みたいんだが。赤髪のお兄さん綺麗な顔だねぇ、なんてものまで。どれも些細なものばかりだがその穏やかさに自分が旅に出てからもこの場所に特別大きな変化がなかっただろうことを悟って、ロイドはそっと胸を撫で下ろした。 「家に帰る前に買出しとコレット会ってからにしよう」 「いいねぇ。でも俺さま的にはコレットちゃんよりリフィルさまの方だな」 「先生はこの時間じゃ学校だろ」 ちぇー。 いじけた様に唇を尖らせる横顔に何時まで経ってもこの女好きは治んないもんだな、といっそ感心する。 それが彼なりのポーズだということくらい分かっているつもりなのだが、それでも。仲間たち以外の女の人にいい顔をするのは本当は好きじゃない。 …俺って心狭いかも。 無意識のままに熱の上がる両頬を手のひらで冷ます。グローブとの温度の差に詰めていた息を吐き出した。 「ハニー?コレットちゃんなら学校前の広場でちびっこ集めて遊んでるって。聞いてる?」 「え?あぁ、学校前な。うん」 村に最近お嫁に来たのだという綺麗な長い髪の女性にへらり、と礼を言うゼロスを尻目に頬へ添えたままだった手のひらで気合を入れなおす。ぺちん、といい音が響く。 「よし、じゃぁどっちが先に広場にたどり着くか競争な!」 よーい、どん! 子どもがよくする勝負の掛け声を上げて一気に足を踏み出す。決して軽くはない装備とアイテムを背負ってはいるが、地の利と運動能力でゼロスに劣るとは思わない。 後ろから、えっちょそれ反則じゃないの?なんて声が聞こえてくるがそんなの無視だ。 ちょっとした意地悪のつもりだったのが、さして広くもない村の中は大人の足ではあっという間に目的地である広場にたどり着いてしまう。子どもの頃はあんなに時間がかかったにもかかわらず、だ。 どこか寂しい気持ちになって、さして上がりもしなかった呼吸を整えると子どもたちの真ん中で白い手をつないでいるコレットと視線が合う。途端に蜂蜜色の長い髪が風に踊って、金の扇に彩られた空色の瞳が柔らかく微笑んだ。 「おかえり、ロイド」 「ただいま。コレット」 わーロイドだ!えいゆうだー!えいゆうってなぁに?ねぇみこさま。ロイドだよ、うれしい? はしゃいだ子どもたちがコレットの手を離れてこちらに群がってくる。その小さくて柔らかな体当たりにトマトって、目配せすれば撫 で て あ げ て≠サう唇だけで囁かれる。とりあえず言われたとおりに陽光を浴びて温かくなった小さな頭をひつずつ撫でてやれば、くすぐったそうな笑い声が上がった。 「と、到着ー…ハニー置いてくなんて酷い…」 しかも道の途中でおばちゃんたちに声かけられまくるし、道間違えるし散々だっての…。 ぜぇと粗い息を吐き出したゼロスの手の中にはどこで貰ったのか、小さな袋に入れられたグミやら果物が握り締められている。 「どうしたんだよ、それ」 「くれるって言うから貰ったんだよ。清貧な旅の途中なんだから貰えるものは貰っておいた方がいいでしょうが」 清貧。これほどゼロスに似合わない言葉もないな。呆れたような可笑しいような笑みがこぼれる。でも真実決して裕福な旅をしているわけではないので、ゼロスのあの特技が重宝しているのは否めない。 「途中、って帰ってきたんじゃないんだね」 「そうそう――ってコレットちゃん!ますます綺麗になったんじゃない?最近どう?爺様どもの小言適当にかわせてる?」 白くて華奢な手を取って挨拶代わりにそこへ口付ける姿から視線を逸らす。 コレットが二つの世界の神子を代表して議会に顔を出すようになったのは丁度、ゼロスとロイドがエクスフィア回収の旅に出た直後のことだ。それまではゼロスとコレットが揃ってマナの神子として顔を出していたのだが、旅に出てからのゼロスは全くそういうものから遠のいていた。 二国間のパワーバランスとか、そういうもんがあんのよ。いつかの晩にそう呟かれた言葉に納得も出来るが、自分がゼロスを独り占めしているせいじゃないかと思うこともある。 それは考えすぎかもしれないし、誰かひとりを自分の都合で独占してそのしわ寄せがコレットにきているのだとしたらそれは嫌だ。 「大丈夫。ちゃぁんとこの世界をいいように均すのがわたしたちの役目だって知ってるから、大丈夫だよ」 「おう、コレットちゃんもいつの間にか大人の女だな」 「えへへ。そうかな?あ、そうだ。何か用があって帰ってきたんでしょ?」 照れたように笑ったコレットに本題を切り出そうと口を開きかけたところで、服の裾を小さな手にひとつ、ふたつ掴まれる。同時にロイドの長い飾り紐も引かれて、後ろを振り返れば大人だけの会話に厭きた子どもたちが手慰みの悪戯を開始していた。 その手にぐい、と飾り紐が強く引かれた次の瞬間にはもうゼロスの長い髪で遊んでいた少女たちのリボンになっているような具合だ。 「ちょちょ、これどうなってんの?」 さすがのゼロスでも自分の背中がどうなっているかまでは分からないらしく、背中を両手でまさぐっているが丁度指先と指先が掠めそうで触れられない位置に白いリボンが揺れている。 本人が分からない間に一つに括られた髪はそこから分岐して、片方は三つ編みに。もう一方は小さなお団子に仕上げられていく。そのぐしゃぐしゃな出来にこれは後で絡まったとか騒ぐんだろうな。その姿を想像して内心ため息をつく。(女でもないくせに時折びっくりするくらい髪の手入れに気を使う一面も持ち合わせているから厄介だ) 「みんな二人に遊んで欲しいんだよ。時間があるなら少しだけ一緒に遊んでくれると嬉しいな」 二人の返事を待つまでもなく、コレットの声に子どもたちの甲高い歓喜の声があがったのは言うまでもない。 *** 「石蹴りにかくれんぼだろ?あとそれから、ねぇハニー。あの赤色とか言ったらお子さまが俺たちに群がってきたのって何の遊び?」 今日やった遊びの種類を指折り数え上げていたゼロスが不思議そうに尋ねてくる。 「いろ鬼だろ?」 「いろおに?」 背中に流した飾り紐とゼロスの長い髪が揺れる夕焼けの帰り道。自分たちの後ろには細長く伸びた影が落ちている。 あのまま大人三人と子どもたちで、夕刻を告げるマーテル教会の鐘が鳴るまで遊び倒してしまった。勿論するつもりだった買出しはしないままだし、鐘が鳴るより前には帰って来るように言われていたらしい子どもたちは監督を任されていたコレットも含めてお小言を貰った。 けれど決して嫌な気持ちにならないのは、思いっきり遊んだ後だけの特権だ。 「いろ鬼ていうのは、鬼が例えばは『ピンク!』って言ったらこうやってピンク色を触るんだ。ここまではわかるだろ?」 ゼロスの風を孕んだ上着にグローブを外したままの手のひらをぴたりとつける。決して薄くはない布を通して尚、相手の体温が伝わってきて少しだけ心臓が跳ねた。 どんなに体を重ねてもどうしてかふいの接触には胸が躍る。この鼓動が伝わっていませんように、と心の中だけで唱えて体温を分かつ。 「その時鬼の言った色と違う色を触ってた奴とその色を見つけられなかった奴を鬼が追いかける。で、捕まった奴が次の鬼になるんだ」 ちなみに細かいルールがあって、自分の持ち物とか服はダメだし皆が分かる色の名前を言わないとダメなんだ。 「へぇ。シルヴァラントには色んな遊びがあるんだな」 「はぁ?俺、テセアラで同じように子どもと遊んだことあるけど殆ど遊びの種類は一緒だったぞ」 頓珍漢な答えに少しだけ高い位置にある空色の瞳を見上げる。常なら蒼いだけの瞳にまで夕焼けの赤い色が混じって少しだけ不思議な色味に変わっている。 その視線に気がついたのかどうなのか、困ったように長い髪の首が傾げられる。子どもっぽい仕草なのにどうしてそれをゼロスがやると違うように見えるのかは、もういっそ世界の七不思議の域だ。 「…まじ?」 心底驚いた、と蒼色の瞳が瞬かれる。 「細かいルールとか違うのは多かったけど、よく考えれば世界が二つになる前は同じ一つだったんだからその頃に出来たものならそう変わらないんじゃないのか?」 「あーそっかうん、そうだよな。まぁ俺さま神子さまだったからさ!」 がりがりと少女たちに弄ばれて絡んだ頭をかいて視線が逸らされる。 ゼロスが視線を逸らすのは言いたくないことがあるときと、嘘をつくときの癖だ。本人が気がついているかはわからないが、少し前にワイルダー邸に立ち寄った際こっそりとセバスチャンに尋ねてみたら笑って『ハニーさまはゼロスさまをよく見ていらっしゃるんですね』そう返された。だから、きっと本人は気がついてさえいない癖なのだ。 ならば今のは嘘か隠しごとか。 「子どもの頃のゼロスってあんまり皆でごっこ遊びとかしてました、って風には見えないもんなぁ」 きっとゼロスは神子さま神子さまと担ぎ上げられたくちだ。だって、初めて出会った頃のゼロスからは全くといって良いほどお日様の下で育った匂いがしなかった。 同じ神子でも大違いだよな。 先程まで一緒に遊んでいた蜂蜜色の少女を思い描いて視線を上げれば、蒼色の瞳とかち合う。 どうした?と尋ねる言葉が出てこない。 やっと治まった動悸が再開されて血流が煩い。ここでちゃんと何を隠しているのかを聞いておかなければ後が面倒だというのに。 「――――――、」 まじめな顔で向き合っていた瞳が急に緩んで、ゼロスの大きな手のひらで跳ねた髪ごと頭を撫で回された。 「楽しかったからいいじゃないの。さ、早く案内頼むぜハニー」 日が暮れる前にはもちを抜けてハニーの家へ。 |