Diamond Ф Bangle

 指の隙間から零れるひかりのかげ


 意識が浮上する感覚に任せてゆっくりと瞼を押し上げる。
 部屋の中は未だ暗い夜の気配とこれから明けゆく早朝の気配の両方を孕んでいて、ゼロスは梁がむき出しの天井をゆっくりと見回した。
 最初の感想は随分貧相な天井だなぁ、だった。それからなんとか自分たちが昨日ロイドくんの家をおとなったことまで思い至って、一番最初の感想を取り消す。
 ここは自分と出会う前のロイドが過ごした家だ。この天井だって彼が目覚めるたびに目にしていたものなのだ。そう思えばこして同じ物を見れることさえ軌跡のようだ。
 自分の知らないロイドのことを知れる瞬間というのは何時でも少しこそばゆくて、嬉しい。その人の全てを知りたいと思ってしまうのは傲慢かもしれないが、そrでもロイドのことなら何だって知りたくて堪らなくなる。(そして時に自分しか知らない相手が欲しくなるのだ)
 決して柔らかくも広くもないベッドの上でごろり、と寝返りを打ってハニーの残り香を求めてシーツに顔を埋めたところで違和感に気がつく。
「……ハニー?」
 寝るときは確かに側に居たはずのロイドの姿が見当たらない。
 元々ロイド一人が眠るためだけに作られたベッドは、宿のものよりも粗末でひと回り小さく作られている。男二人で眠るにはあまりに窮屈な状態だったが、他に寝るなら床しかないぞ。というダイクの言葉に二人でひっつくように布団に入ったのだ。
 まるで猫が互いの体を寄せて眠るようだと笑いあったが、ここまで堂々とひっついて眠れることはそうそうない僥倖だ。だから狭いとか暑苦しいなんて文句を言い合いながらも、いつもは嫌がる腕枕だってされたまま眠りについたはずだった。
 まさか夜中に寝返りのうてない苦しさによもや床で寝始めたのではないだろうかと、部屋の中を見回してみるがさして広くもない空間に自分以外の人間の気配はない。
 …他になにか?
 様々な可能性を考えてはみるが、昨日ことに及ぼうとしたところでそれはダメだと強固に拒まれて触れるだけのキスを許されたことと、その代わり寝落ちるまでだぞ。と握り締められた手の温かさばかりを反芻してしまって、根本的な原因になりそうなことは思い出せないままだ。(だって手を握っててやると言ったときのロイドくんの可愛かったこと!)
「で、どこ行ったんだ?」
 ふむ。顎に手を当てて考え込んではみるがどこへ行くとか、何か予定があるとかそんな話はひとつもしていなかった。それに寝る前に畳んだ服と枕元に置いたはずの愛刀がなくなっているのは確かなのだから、彼はどこかへ出かけたのだ。
 随分と殺風景な部屋だ。
 華美に飾り立てられた物を好むようには思えないが、それでも彼が生業としている細工物の道具のひとつやふたつくらいあっても良さそうなのにそういった類の物を含めて何も置かれていない。いや、でもエクスフィア探しの旅に出てからここに帰ってきたのはこれが初めてだということを考えればそれは可笑しいことではないように思う。
 偶然ヴォーパルソードに不具合が起こらなければ自分たちは多分、ここには立ち寄らなかっただろうから。
「そりゃ、手がかりになるようなものは置いてないよな」
 はー、どうすっかなぁ。
 垂らしたままの髪をかき上げて、夜中響いていた鋼を打つ音が途絶えていることに気がついた。
 急がなくてもいいから。ダメなら片方は違うものを使えばいいとさえ言った息子に明日までには直してやるよ。そうニヤリと笑った顔が甦る。きっと打ち直し終わったのだ。
 もしかしたらロイドくんもそれに気がついたのではないだろうか。
 自分の名案に急いで上着を羽織ると、居間と寝室を隔てる扉を押し開ける。しかし期待とは裏腹に目指す赤色は見当たらない。
 なんだ、ハズレか。
 期待した分がっくりと肩が落ちる。
「おう、早いじゃないか」
 唐突にかけられた声に慌てて背後をふり返れば、ダイクが紫煙をくゆらせていた。相手の姿にほっと無意識につめていた息を吐き出して、ゼロスは丁寧に朝の挨拶を口にした。
「おはようございます。昨日は遅くまで作業されてたみたいですけど、早いですね」
「そりゃぁ。これから寝るんだよ」
 くつくつと笑う彼の目の下には確かに青い隈が浮いている。
 夜通し息子のために鋼を打ち続けるなんてのは、そう簡単に出来ることではない。きっと義理の父子関係であってもロイドは本当に愛されて育ったのだ。
「…ロイドならさっき水汲みに出て行ったよ。きっと今頃母親のところだ。あれの朝の日課だからな」
「日課、」
「あぁ。いいことがあった日も悪い日でもあいつはあそこで母親と話す時間を作ってるんだ。…わしにいえないことを話しているのかもしれんがな」
 かん、と煙管に残った最後の灰を灰皿に叩きつけて落とすと心底眠そうなあくびがひとつ漏れる。
 ロイドが母親の墓をおとな姿は世界再生の旅のあいだにも見たことがあるが、決して養父に言えないようなことをこぼすためではないことは確かだ。子どもが日々の出来事を母親に告げるようなそんな程度のもの。
 それを伝えなければ、と思うのだがゼロスが口を開く前に空になった煙管を煙草道具に仕舞い終えたダイクは昼過ぎには起こすよう伝えてくれ。そう言い残して居間を後にしてしまった。取り残されたゼロスは困ったように長い髪をかいて、取りあえず伝言を届けるために庭へと続く扉を開けた。



***



 大して広くもない庭に出れば、朝霧にけぶる向こう側に小さな墓標と側に立つ見慣れた赤い背中を見つけた。
 グローブをはめていない手で年月を経たことのわかる石の表面に触れて、微動だにしない様子は何だかいっそ神々しくてゼロスは名前を呼ぼうと開きかけた唇をそのまま閉じる。
「――――、」
 いく朝霧が生き物の気配を覆い隠すとは言え、ロイドほどの手練れになれば隠すつもりのない気配を感じ取るくらい雑作もないはずだ。それでも振り返らないというならば、今はその存在に目を向けたくはないのだ。
 そんなに墓参りが大事かねぇ。
 自分自身も母親を失っている身ではあるが、残念ながらこの感情だけは今も理解できない。そう言えば母親の墓になど、行った覚えさえなかった。
 あの女(ひと)と違って、クラトスが惚れてロイドがこんなにも慕うというなら余程のいい女だったのだろう。
 じぶんでも気がつかないうちに自嘲の笑みを刻み込んで、ゼロスはゆっくりとロイドの背後に近づいていく。あと数歩、というところまで近づいたところで足の下で小枝が割れた。
 ぱきん、という乾いた音が響くのと同時に鮮やかな紅色とロイドの飾り紐が翻る。
「…ゼロス?」
「…おはよう、ハニー」
 ぱらり、と居合い抜かれた剣の刃で切り離されたゼロスの赤髪が地面に還っていく。まさか剣を抜かれるだなんて思っていなかったぜロスは、跳ね上がった心臓を悟られないようにそっと呼吸を整えた。
「どうしたんだ?こんなに早く」
 悪かったな。でもお前を気をつけろよ?霧の中だと気配がわかり難くなるんだからな。
 無茶苦茶なことを言いながら髪の他にどこにも怪我をさせていないことを確認すると、先程まで墓石に触れていた手がゼロスの肩を叩いた。
「だぁって目が覚めたらハニーってば居ないんだもん。心配するでしょうが」
「仕方ねぇだろ、家じゃ朝の水汲みは俺の仕事のひとつなんだ」
 だからお前が起きてようが寝てようが、俺はこの時間に起きるんだよ。
 わざと唇を尖らせたゼロスに対抗するようにロイドくんの形の良い唇が突き出される。同じ仕草をしているというのに、この目の前の愛らしさったらない。
 それはもう、まだセットされていない頭をぐしゃぐしゃに撫でて、嫌がっても抱きしめてキスをくれてやりたくなるような愛らしさだ。本人がそれに気がついていないのもまたいい。
 あぁ朝からいいもの見たな。
 こっそりと笑ったつもりだったのに見咎められて、ゼロスは神妙な顔で視線を逸らした。
「あ、そうだ。親父さんが今から寝るから昼過ぎに起こしてくれってさ」
「あぁわかってる。じゃ、朝食は俺たちだけだな。何か喰いたい物とかあるか?」
 材料は限られてるけどな。
 何を強請ろうかと考えてはみるが、朝食に食べたいもののバリエーションなんていうものは実際のところ高が知れている。それでも定番に何を足すかで変わるようなものだし、パンとミルクに果物が少しあればまぁシルヴァラントの一般家庭としては優秀な方だろう。
 以前聞いていた話からそう推測して、ゼロスはどう答えたものかと思案する。何でもいい、なんて答えだけは絶対にありえない。
 その時丁度今朝目が覚めたときに感じた独占欲がふいに頭を擡げて、この家でどんな風に彼が過ごしていたのかが無性に知りたくなった。
「…この家にいた頃、ハニーが毎日食べてたのと同じのがいい」
 材料さえあれば本当に何でも作るつもりだったのだろう。予想外だったらしい答えにチョコレートカラーの大きな瞳がゆっくりと瞬かれた。
「蜂蜜パンと果物が少しだぞ?」
「それがいい」
 大きく頷けば、変な奴。そう笑いを含んだ声が返される。
 変な奴。確かに今の自分を端的に現していて、妙だとさえ感じる言葉にゼロスは相好を崩した。

「俺さま、ハニーのことならなんでも知りたいだけよ」

 蜂蜜を垂らして焼いたパンとミルク。それからロイドの厚意で添えられたオレンジの朝食を済ませる。
 そしてたった一晩で治し終えられた剣の刃を見せられて、ゼロスは感嘆の声を上げた。こりゃある意味テセアラのそこらの鍛冶屋やドワーフよりも腕は上かもしれない。(勿論アルテスタは別格だが)
「だったら明日からどうする?」
「もう少しだけイセリアに居ようと思うんだけどどうだ?」
「俺さまは構わないけど?」
 剣が治ったらすぐにでも出発すると思っていた分、驚いたような声が出た。それを聞きとがめたのか、ロイドが机の上に銀の細工物をひとつ包みから取り出した。
 いくつもの形の異なる穴を開けて、もう一枚薄く延ばした銀を重ねる様式で造られたそれは、少しばかりミズホの地の意匠を思い出させる。だがまだ加工を施している途中らしく、一部に試行錯誤の痕が見える。素人目にもそれが判るのだからさぞや本人は気になる点だろう。
「ここの部分が巧くいかないんだ。思い通りにならなくて、いつか親父にいい加工の方法を聞こうと思って取っておいたんだ」
 ここ、と指し示された場所はやはりゼロスの目にも気になった箇所だ。けれどそれを差し引いても、完成すればさぞや美しい細工物になるに違いない。
「綺麗な蝶だな」
「だろ?デザインに自信はあったんだけど、加工がなぁ」
 ロイドにしては珍しく盛大なため息をひとつついて、どうしたものかと食卓に肘をつく。

「だから、さ。多分ゼロスが村の子どもたちとの遊びなんてもう十分!てぐらいには時間がかかりそうなんだけどいいか?」

 笑って頷かない理由はどこにもなかった。