Diamond Ф Bangle


 半分に割れてしまったペンダントヘッドに新たな土台を継ぎ足して、今にも転げ落ちそうだった赤色の宝石をしっかりと包む。しっかりと固まったところで皮の袋に入れて持ち歩いている細工用の道具を手に取ると、ロイドは小さく息を詰めた。
 偶然泊まった宿屋で、主人の小さな娘が壊れたペンダントを手にして二人の部屋のドアを叩いたのはもうとうに日が暮れた後のことだった。泣きじゃくる子どもから事情を聞けば、母親の形見であるそれを壊してしまい途方にくれていたところに偶々細工が出来る客が居ることを知ったのだという。
「ハニー、ほらコーヒー置くからな」
「ん」
 幾ら暖かくなってきたからって、まだ夜は冷えんだから。と湯気を立てるカップに添えられた言葉に生返事を返す。
 小さなペンダントヘッドには左右対称の紋様が彫られていたということで、慎重に継ぎ足した土台に刃を滑らせていくのだがこれが中々難しい。自分勝手に削るのなら造作のないことでも、左右対称さらには中心でそれを繋ぎあわせて削るのは至難の業だ。
「思った以上に難しいな…」
 僅かも狙いとずれないように詰めていた息を吐き出して、ロイドは凝り固まった肩をソファーの背もたれに預けた。
 時計の針はとうに深夜を越えている。
 ペンダントを預かった時は朝までに終わらせられると思っていたのだが、ここまできてみるとどうにも時間が足りそうにない。勿論途中で放り出すなんて選択肢は初めからあるはずもないので、残る選択肢は二つだけだ。出発を遅らせるか、延泊をするか。どちらにしても同行者であるゼロスが是と言わなければどうにもならない。
 ごねるだろうな。
 疲れからくる眠気に目を擦りながら、隣で黙って終わるのを待っているはずのゼロスに声をかけた。しかしいつまでたっても返らない返事に、隣を見やればくったりと力の抜けた鮮やかな色の髪がソファの上に散っている。
「―――ゼロス?」
 あちらを向いたままの横顔を覗き込めば、穏やかな寝息を立てていた。
 いつの間に。そう思ったが、ついさっき淹れてもらったはずのコーヒーカップすら冷え切っていて、予想以上に集中していた時間は長かったらしい。
 少しだけ思案してロイドは手にしていた工具を机の上に転がすと、冷えた床板に裸足の足をつけた。本当はベッドまで運んでやりたいのだが、何分ゼロスの方が大きい。せっかく寝入っているのに床に叩き落とすようなことはしたくなかった。
 灯りを燈していない寝室のベッドから手探りで毛布を引き出すと、折りたたんで作業場にしているリビングへと取って返す。灯りの漏れるドアをくぐれば、やはりソファにもたれるように眠っている。
 熟睡しちゃってまぁ。
 今なら誰かに襲撃されても起きないんじゃないかと思うほどに、緩んだ寝顔に小さく笑いがこみ上げてくる。隣で自分が活動する気配がわからないはずなどないのに、それでも目を覚まさない。そのことが純粋に嬉しかった。
 持ってきた毛布を広げて包み込むように肩にかけてやる。
 幾ら温かくなってきた季節とはいえ、夜は冷える。風呂上りの姿そのままで眠っているのだから尚更だろう。案の定、かけられた毛布の温もりに無意識にゼロスの肩が沈み込んだ。
 子どもが無意識に隣に眠る相手の体温を求めて擦り寄るような様に、愛しさがわいてそっと薄いまぶたからすべらかな頬に指を這わせる。
 夜気に冷えた頬と触れ合った場所から混ざっていく熱。
 男のくせに綺麗な顔してるよな、なんて。
 気恥ずかしくて本人に向かってなど言えない言葉を飲み込んで、誘われるままにそっと薄いまぶたに口付けようとした瞬間。目の前に空色の花が咲いた。

「――――!」

 そして同時に押し付けられるぬるい体温。
 なにがどうなったのかと、今の状況を客観的に整理する。唇を覆うのは寸止めるように唇に押し当てられた大きな手のひらだだろう。そして勿論、目の前の空色は勿論先程まで薄い皮膚の下に押し隠されていたゼロスの瞳に間違いない。
 俺、きすしようとして。
 沸騰寸前の思考にその場から離れようと力いっぱいむき出しのゼロスの肩に手をかけて体勢を整えようとするのだが、口元を覆う手のひらもいつの間にか掴まれた手首も。その全てがそれを拒んだ。
「ゼロ、」
「ロイドくん今、キスしようとした?」
 離して。
 言うより早く重ねられた言葉に、もう思考がついていけない。頭の中では偶然顔が近づいただけだとか他にも色々、言い訳が渦巻いているというのにそのどれもを口に出来ない。だって、だったらどうして目の前のゼロスまで真っ赤なんだ。
 もう何も考えられない、この手を離して欲しい一心で口元を押さえられてはいるが比較的自由のきく頭で目の前の男の頭を一突きにした。
 ゴチ、と嫌な音がしたがこちらは生粋の石頭である。予想通り突然の頭突きの衝撃に耐えかねた両の手が、ロイドの体から離れていく。
「って―――」
 咄嗟に手加減がまったく出来なかったのは、反省すべき点だが今はそんなことはどうでもいい。今はこの気恥ずかしさをどうにかするのが優先だった。
「こ、んなところで寝てたら風邪引くだろ!」
「ちょ、えええええ?」
 彷徨っていた手を今度はこちらが捕まえて、自分より大きな体躯を引き起こす。そう、こんなところで寝ていたら風邪を引いてしまう。それは困る。
 困るんだったら、取るべき行動は一つだけだ。
「ほら、行くぞ!」
 無理矢理引き起こしたゼロスの手を引いて先程自分が毛布を取りに行った寝室のドアへと向かう。背後で引きずった毛布が触れたのか、作業机の上から細工具が落ちた。
まるでわたしを忘れないで。そう言いたげな音を立てて落ちた刃物が誰にも踏まれない位置にあるのを確認すると、ロイドは勢い良く寝室の扉を開けた。
「へ?あれ、もういいの?」
「どうせお前俺が寝るまでそこにいるんだろ!風邪とか引かれたら困るんだよ」
 明りのついていない寝室は暗い。頼りになるのは窓から差し込む月の光くらいだ。なのに寝乱れた輪郭の相手が、こちらが差し出した手に驚いたように首を傾げるのははっきりとわかる。
「ほら!」
 行くのか行かないのか。
 返事を急かすようにもう一度強く右の手を前に出すと、薄闇の中だというのに迷うことなく握られた。
「勿論。ハニーと一緒に眠れるチャンスを俺さまが逃すはずないじゃない」
 ゆるく口の端を吊り上げてゼロスが笑う。

「ちっさいレディにはもう一日待ってもらおうね、ハニー」

 楽しそうな声と共に手の甲に柔らかな唇が押し当てられた。


 リ
   オ

をひとなで

2011年5月 無配