Diamond Ф Bangle

 乾いた鐘の音が高い空に響いて、ゼロスは音のした方へと振り返った。


「綺麗です」
 通りと敷地を隔てる鉄柵を飛び越えてやってきた小さな花びらを見上げて呟かれた言葉に、ゼロスは空色の瞳を細めた。
 花びらの元を辿れば、なるほど。着飾った老若男女がそれぞれの手に握り締めた黄色や白の花びらを中央を歩く二人に向かって雨のように降らせている。
「結婚式じゃないか、綺麗だねぇ」
 しいなの声に誘われたように通りまで舞って来たものと同じ花びらが、風に乗ってふわふわと定まらない動きで花嫁のヴェールに新たな柄を描いていく。
 マーテル教会で行われる小さな式は、さして珍しい光景ではない。けれど年頃の少女たちが瞳を輝かせるには十分であるらしく、普段からあまり表情の変わらないプレセアでさえどこか眩しいものでも見ているようだ。
「そう言えば、村でも結婚式があるとコレットに神子の祝福をしてくれって引っ張りだこだったよね」
「うん。かわいい服着せてもらえて嬉しかったなぁ」
「そうそう、すっごく可愛かったよね」
 あ!勿論プレセアも可愛いからね!
 でれでれと何のフォローにもなっていないジーニアスを見下ろして、ゼロスはそっとため息をつく。全員が全員、結婚やら式やらに憧れを持っているわけではないだろうが、彼女たちの幸せそうに染められた頬を見ると正直不思議でたまらない。
 幸福な結婚なんて夢か幻想だ。
 単に自分の周りには幸福な結婚をした人間が居なかっただけのことかもしれない。けれど真実自分の両親もセレスの母親も、決して恵まれた婚姻を得ることは出来なかった。
 (それに俺さまもこのままなら誰か、決められた相手と―――)
「ゼロスくん、しわが寄っています」
 かけられた声に視線を下げれば淡色の髪を揺らしたプレセアがここ、と自分の眉間を指差して変化の少ない表情のままちいさく首を傾げていた。
「具合でも悪いのですか?」
「いーや。ちっと嫌なこと思い出してた」
 だから気にしなくても大丈夫。
 ひらひらと手を振って見せると、そうですか。そう応えて再び少女の視線は人だかりの向こう側へと吸い寄せられていく。その蒼い視線を追いかけて、ゼロスはある一点で視線を止めた。
 自分からプレセアとジーニアスを挟んだその向こう側。鉄柵のまん前でぽかん、と口を開けたまま瞬きも忘れたようにその先を見つめているチョコレートカラーの瞳。
 好きそうだよなぁ、こういうの。
 不躾な視線に気がついたロイドが、ゼロスを見つけると微かに唇を尖らせる。けれどすぐに苦笑するように眦を和らげた。その一瞬の仕草にこちらも口の端を上げるだけの返事を返して、二人にしか通じない呼吸に思わず笑みを深くする。
 視線があっただけで嬉しいなんてどうかしてる。
 同じことを思ったのか二人同時に自嘲気味に肩を竦ませれば、長い髪と飾り紐が風に煽られるように肩を滑った。
「ロイド、ねぇ見て」
「ん?あ!コレットちょっと待てって」
 無邪気に同じ物を見て欲しいと指さす少女の髪についた、淡色の花びらをひとつ摘み上げる。細工物を得意とするロイドの指は、節だった男の手をしているのにやはり繊細だ。
 ほら、と見せられた花びらにコレットが細い指を組み合わせて「幸せのおすそ分けだね」そう頬を染めた。
 傍から見ても象徴のような光景から、ゼロスはそっと視線を逸らす。
 きっと自分とロイドの関係を知らない者が見れば、皆口を揃えて似合いの二人だと笑うのだ。そして、何時か。この柵の向こう側で、互いの手を取り合って笑い合うのだと何の疑いもなく思うに決まっている。
 唯一その想像から何かが変わるとしたら、ロイドくんの隣に立つのが蜂蜜色の神子かもしれないし、見知らぬ誰かかもしれないということだけだ。
 (俺さまじゃないことだけは確かってね…)
 一際強く吹いた花風にゼロスは深く瞳を閉じる。莫迦げた夢だと分かってはいる。それでも彼の隣に立って。これからもずっと笑い合える相手が自分ならそれは、どんなにか―――。
 ぐい。
「え?」
 上着の裾を勢い良く引かれて、慌てて振り返る。しかし背後には誰の姿も見当たらない。すぐ後ろに立っていたはずのリーガルも気がつけば、あちらでリフィルと何やら話し込んでいる。
 一体どういうことかと、辺りを見回せばもう一度強く裾を引かれた。
「ねぇ、おにいちゃん。みこさまでしょ?」
 拙い言葉遣いと真下に引かれる裾を見やれば、シフォンドレスを纏った小さな少女が真っ直ぐにこちらを見上げている。先ほど視界に入らなかったのは、少女があまりにも小さかったためらしい。
 しっかりと握り締められた服に、どうしたものかと逡巡して膝を折る。そうすると随分と下にあったはずの子どもの顔が近くなった。
「そうそ。俺さまが天下の神子さまよ」
「やっぱり!おしゃしんといっしょ」
 でも実物の方が素敵だろ?
 じゃれる様に小さなブルネットの頭を撫でてやれば、ふっくらとした手のひらに覆われた頬が綺麗な薔薇色に染め上がる。子どもながらに恥らうような仕草だ。こちらにその気は(勿論!)なくとも、こんなところをロイドくんに見られたら冷たい目で見られるに決まっている。
 そっと少女を自分の影になるようにして様子を伺えば、どこに居ても目立ち放題であるはずの赤い背中が見当たらない。
「…?」
 それどころか頭二つ分は飛び出るはずのリーガルの長身も、しいなの巨乳さえ見つけることが出来ない。
 意味が分からないとはこの事だ。
「みこさま、だれかさがしてるの?おともだち?」
「赤い服着たお兄ちゃんなんて、見てないよな?さっきまでそこら辺に居たんだけど」
 望み薄。そう思いながらも縋るように問えば、薄色の瞳が大きな瞬きを二つして「あっち」と雑踏の中心を指差した。
 脊髄反射の要領で振り返って雑踏に目を凝らす。幸い人垣の向こうで見慣れた赤が一瞬揺れたのを見逃したりはしなかった。
「ロイ―――!」
「まって!」
 届かないと分かっていても無意識に伸ばした腕と、そのまま後を追おうとした体を渾身の力で引かれる。渾身と言っても相手は子どもだ。その手を振り切るのはそう難しいことではない。だが、それをしなかったのは自分のロイドくんを呼び止めるために発した声と少女の悲鳴のような叫びがぴたりと重なったからだ。
 伸ばしたままの指先が空を握りつぶす。
「みこさま。いかないで」
 泣きたいのはこっちだっての。
 今にも泣き出しそうな声に内心嘆息して、慰めるように少女の頭を撫でた。
 まぁ、実際のところ、この街にはしばらく続いた野宿で減りに減った物資の補給と、休息を求めて立ち寄ったのだ。つまり、街中で再会できなくとも今夜の宿にさえたどり着ければ皆と合流できるというわけだ。
 それにゼロスが居ないことに気がつけば、誰かは買い物のついでぐらいにはこちらを探してもくれるだろう。
 何となく気持ちの整理をつけて、真っ直ぐに子どもに向き合う。こうなりゃとことこん付き合ってあげましょう。
「で、俺さまになぁにがして欲しいのかな?」
 ぱぁ、と花が咲くように満面の笑みを浮かべた少女はそっと、内緒話をするように少し高い位置にあるゼロスの耳元へ唇を寄せた。
 ねぇ、みこさま。おねがいがあるの。


「おかあさん!みこさまつれてきたよ!」


 かん高い声が響いて、教会前の芝生を蹴り上げる。
 少女が一歩足を進めるたびにふわふわのシフォンドレスが左右に揺れて、低い位置からつながれた手に腰が痛んだ。不自然な前かがみから少しでも背中を伸ばそうと顔を上げれば、子どもの声に着飾って集まっている大人たちが不思議そうにこちらを見ている。
 その内の一人がゼロスに気がついて居住まいを正すと、少女が年若い母親の胸に飛び込む頃には粗方の大人たちが黙礼をしていた。
「みこさま。おねえちゃんのおいわいしてくれるって、いってたよ!」
「まぁ、本当でしょうか?神子さま」
 この子が無理矢理頼んだのではありませんか?
 母親ならではの心配に少しだけ笑って左右に首を振れば、わぁ。と歓声があちらこちらから上がった。
 結婚式で神子が二人を祝福する言葉を授けるというのは、一般にも良く知られた儀式の一つである。
 しかし、このテセアラで実際に神子が寿ぐのは王侯貴族に限られているのが現実だ。その為、一般の式では歴代の神子がこれまでに授けた言葉を集めた本から一説を取り出して神父が二人を寿ぐのだと言う。
「なんて僥倖だ!良かったな!」
 花嫁の父らしい男が今にも飛び跳ね兼ねない勢いで、すぐにでも祝福を授けてもらおうとゼロスの目の前に二人を跪かせた。白い衣裳の下で、青草の潰れた気配がする。何もこんな地面に跪かなくてもいいんじゃないかと思うが、もうついてしまったものはどうしようもない。
「神子さまのように恵まれた方から見れば、チャチな式かも知れませぬ。ですが、どうか。そのご幸福のかけらを御言葉にして授けてくださいませ」
「神子さま」
「どうか」
 いつの間にかその場に居た全員がゼロスを囲むように跪いて、祈る形に手を組んでいる。頭を下げられることには慣れているが、なんだかここまで期待されると普段は感じない罪悪感が疼いた。
 もしもこの場に立つのがコレットであったなら、心から二人の幸福を祈ることが出来るのかもしれない。だが、実際は幸福に満ちた結婚など知らず、不幸せな形ばかり見てきた自分が他人の幸福を祈るだ。なんて滑稽。
 自嘲じみた嗤いを口の端に刻み込んで、祝福を与えようと二人の前に手をかざす。
 ふいに落ちた影に花嫁が重い睫毛を押し上げて、一瞬だけ視線がかち合った。長い睫毛に縁取られたチョコレートカラーと綺麗に纏め上げられた鳶色の髪。見慣れたその色の組み合わせに思わず目を見張る。
 ロイドくん。
 僅かに動いた唇は、逆光になって花嫁からはよく見えなかったはずだ。けれど確かに、彼女はこちらを見上げてふわりと微笑んだ。
「…俺の好きな人と同じ色の瞳だ」
「では、その方へのご祝福を今はわたくしたちへわけて下さいませ」
 こぼれた言葉にしまった、と思うより前に凛とした声が波打つように広がったざわめきを押さえ込む。驚いて視線を落とせば、声の主である花嫁が今度こそ真っ直ぐにゼロスを見上げていた。
 こうして見ればただ同じ色を持っているというだけで、どこにもロイドくんに似たところを見つけることは出来ない。寧ろ全く性質の異なる印象さえ受ける。
 彼女≠ヘロイドくんじゃない。
 分かりきっているはずの事柄をもう一度自分に言い聞かせるとゼロスは、無意識に強張っていた力を抜いた。それから翳した手のひらをそのままに、二人の手を取って重ね合わせる。
 細すぎる指にはめられた銀の指輪に映し出された陽光が、小さな光の輪を作った。
 七色に姿を変える光を瞼裏に焼き付けるように瞳を閉じて、覚悟を決めたように寿ぎの言葉をかける。背筋を伸ばして、威厳をもって。
「悲しみのあるところに、喜びをもたらす者とせよ。互いに助け合い、心を持って幸福とせよ」
「――どうか、幸せに」
 言い終えた余韻が消える前に参列者たちが、喜びの声を上げて残しておいた花びらを空にまく。降りしきる花の嵐に二人が順に従って誓いの唇を交わすと、その場の盛り上がりは最高潮に達した。
 このまま立ち去っても誰にも咎められはしないだろうと一歩二歩、と少しずつ後ずさって行けば、呼び止めようとする声に名前を呼ばれた。
 特徴ある凛とした声は勿論花嫁のものだ。
「神子さま、本当にありがとうございました。それから、これはわたくしたちから」
 差し出されたのは式の最後に参列者に配る小さな砂糖菓子の入った袋だ。花嫁のヴェールと同じ布のリボンで包まれたそれは、それこそ参列者への幸せのおすそ分けだ。
 自分自身はあまり好きな菓子ではないが、持ち帰れば仲間たち(特にコレットやしいなあたりは)きっと喜ぶだろう。
 差し出した手にサテンのリボンが触れるか触れないかのところで、手のひらごと細い指に握り締められた。
「――!?」
 互いにグローブをしてはいるが、それでも手の感触が伝わらないわけではない。
 振り払うべきか、否か。
 花嫁が新郎ではなく、他人の男――それも神子の手を握り締めているという倒錯的事態にそこまで考えたところで、再び綺麗に紅の引かれた唇が開かれた。

「神子さまとわたくしと同じ瞳の方に。幸多くふりそそぎますように」

 まるでおまじないを唱えるように囁いて、にこりと両の手を解放される。手の中にはサテンのリボンで結ばれた祝い菓子。
 ロイドくんと自分のための祈りが込められたそれに、思わず頬が緩む。
「ありがとさん」
 軽い調子で礼を述べると、花嫁は陽光を浴びて七色に変わるヴェールごと深く一礼した。


Love me
    love you

2010年8月ご祝儀本