降り積もる雪は嫌いだ。 子どもの頃は確かにあの時≠フことを思い出すから嫌いだったのだが、いつの間にかそんなことよりも無意味な好き嫌いが先行してきたような気がするのは、あながち間違いではないだろう。 寒いから嫌いだとか、濡れるから嫌いだとか。 多分そんな理由。 「―――でも、」 と白い息と一緒にこぼれた言葉はあっという間に、降り積もった大地に吸い込まれる。 (多分自分はこれからもっとこの景色が嫌いになるのだ) とん、とレンガ造りの壁に背を預けて瞳を閉じた。紅色の扇に落ちたひと欠片が水になって睫毛を重くする。こうしていると、静かだと思っていた空間の中にたくさんの音が隠れていることに気づく。 針葉樹に降る雪の音。誰かが雪を踏みしめて歩く音。そして、扉を開く音。 はっ、としてゼロスは淡色の瞳を見開いた。 自分が寄りかかっているのはロイドが寝泊りをしている部屋の直ぐ側だ。つまり、今扉を開けたのは他ならぬロイドということになる。他の皆が、この部屋に居ないのはもう偵察済みだ。 まさかどこかに出かけるんじゃなかろうかと、そろりそろりと扉がのぞける位置に移動すれば、扉の前にはくすんだ夜色の中でも褪せることを知らない蜂蜜色の髪が見えた。 「…そっか。ううん、ごめんね」 ぼそぼそとした声は雪のせいで反響することを知らず、聞き取りにくい。だが、これ以上近づけばこちらの存在を悟られてしまうだろう。 くそ、 内心悪態をつくが、そもそも自分はどうして寒さに震えながらこんな場所に立っているのか自問自答したくなってくる。 本当はロイドくんに声をかければ済む話なのだ。だが、たったそれだけのことをするのに自分に自信がもてずに立ち尽くしているのだから始末が悪い。 自分に自信がなくて、なんて。しいなあたりが聞いたら、思いっきり笑い飛ばされてしまいそうな理由だ。弱気なんてアンタらしくないとかなんとか―――。 「うん。ゼロスらしくないよね」 今にも頭を抱えようとしたところで、降ってきた声にびくりと肩が震えた。いくら雪の中とは言えこんな側まで誰かが近づくまで気がつかなかったなんてことはありえない。 恐る恐る視線を上げれば、すぐ側にコレットが立っていた。 「コレット、ちゃん」 「びっくりさせちゃった?あたしほら、すっごく耳がいいから。すぐにゼロスが居ることわかっちゃったんだ」 えへへ。 まだ波打つような心臓を宥めながらゼロスはポケットに隠した手紙の存在を確かめる。驚いた拍子にどこかに落としたら洒落にならない。 「コレットちゃんこそ、こんな寒い中どうしたのよ」 「うん?降ってくる雪があんまりにも綺麗だったから、ロイドに一緒に見に行こうって誘いにきたんだ」 「でも、ふられちゃったけど」 さらり、と蜂蜜の髪が肩を滑る。 彼女も随分時間をかけてロイドの部屋を訪れたのだろう。肩と髪の先が濡れていた。 「こんなイイオンナをふるなんてハニーもまだまだだねぇ」 本当は彼がコレットと出かけなくて良かったとすら思っている。でもそんなものは億尾にも出さない。だってコレットが今日≠好きな相手と過ごしたいと思う気持ちは痛いくらいにわかるから。 コレットの髪の上にうっすらと積もった雪を払って、指通りの良い髪を梳いてやる。 「うふふ。ゼロスは優しいね」 「俺さまは悪い男よ?」 「あ、」 ぱっと視線をあげた少女の空色の瞳が輝く。 「ゼロス随分冷えちゃったんだね。雪が結晶になってるよ、綺麗」 指差された肩を見れば雪が溶けずにそのままになって残っていた。体が冷え切ってしまった証拠だ。そう言われてみれば、ブーツの中の足先の感覚はとうに失っていた。 どんだけここに居たのよ。 自分に自分で突っ込みを入れて、年頃の少女にはやはり適わないなぁと思う。このくらいの少女たちは、まわりの心の機微にびっくりするぐらい敏感だ。好きな人でも恋敵でも友人でも。残酷なくらいよく気がつく。 「ゼロスもロイドに会いにきたんでしょ?きっと、ロイドもゼロスのこと待ってるよ」 ほら、今も。 どこまで自分の思惑に気がついているのかいっそ問いただしたくもなるが、まさかそんなことが出来るはずもない。誤魔化すように笑って、コレットに背を向ける。 「じゃ、俺さまもロイドくんにふられに行きますか」 肩の紅色の髪越しに振り返えれば、物語に出てくる女神のような穏やかな微笑みがこちらを見ていた。 「ふられたら、慰めて頂戴ね」 先ほど閉められたばかりの木製の扉に向かって一歩を踏み出す。高さを増す新雪が、ぎゅむりと音を立てる。 背後で小さく、大丈夫。ゼロスは絶対大丈夫だよ。囁くような声が聞こえた。 |
ではまた、 来 世 で |
2010年12月再録書き下ろし |