人の移動する気配に薄いまぶたを押し上げる。 世界はまだ暗闇に沈んではいたが、それでも微かに夜明けが近いことを思わせる空気のざわめきを含んでいた。 「―――――、」 横たわったまま辺りを見渡せば、唯一起きているはずの少年の姿がないことに気づく。よくよく見ればまだ、赤々と燃えていなければならない焚き火からも白い煙が伸びている。 あんなに反対した仲間たちに「寝ずの番は任せろ!」と大見栄をきったくせにやっぱり寝落ちたのだろうとあたりをつけて、ゼロスは重だるい体を起こした。 もうひと眠り出来る時間は優にあるはずだが、まさか本当に誰も見張っていない内に魔物に襲われましたでは洒落にならない。少なくとも、まだ、今は。 皮肉気に歪められた口を隠すように頬についた枯れ草と夜露を払って身なりを整える。別に誰が見ている訳ではないのだから格好など適当でもいいのだが、それでも気になってしまうのはもう癖のようなものだ。 その間に薄闇に目が慣れたのを確認して、もう一度あたりをゆっくりと見渡した。 火の消えた焚き木を取り囲むように休んでいる仲間たちの姿。深く寝入っているのか、それともゼロス一人が起きた程度と無視することに決めたのか、勘の鋭いはずのしいなでさえ起きる気配がない。まぁ、連日の野宿と戦闘を繰り返しているのだ。誰であれ疲れて自然と眠りが深くなってしまうのは仕方がないことだ。 ひとりひとりを確認するように視線を流して、ゼロスはその端に立ち尽くすように佇む少女に歩み寄った。 いつ見てもぞっとしない女神マーテルの天使の器=B 「こんな時間でも眠らず、喋れず、何も感じないってか―――」 小声で呟いて、まだ幼さの残る顎のラインをそっと指でなぞる。不用意に触れると何をされるかわからない。とはリフィルの言だが、今のコレットはうつろな瞳をある一方向に向けるばかりでゼロスのことなど意に介していないようだ。 一体何を見てるんだか。 期待もせずに金の扇に隠された空色の瞳の先をふり仰ぐげば、まだ暗い稜線が微かに光を孕んでいた。夜明けが近い。最も嫌いな時刻の訪れに小さな舌打ちをひとつして、ゼロスはまだ暗い空から顔を背けた。 「……?」 視線を外すその瞬間、微かな光中の中に自然物とは思えない影を見たような気がしてもう一度振り返って目を凝らす。正体を見極めずとも、無意識に手は腰の剣に伸びて夜気に冷やされた柄の感覚に更に意識を研ぎ澄ます。 魔物、ではなさそうだ。 人…そう人だ。小柄で華奢に見えるけれど、その腰元には双剣を携えている。 気配を殺すように息を詰めてゼロスは明けようとする稜線へと向かって足を踏み出した。相手が追手であるなら仲間の側を離れるべきではないと分かっているが、見張りの居ない現状で野営地に踏み込まれる方が分が悪い。 かさり、 あと数メートルというところで夜露を含んだ下生えが立てた音に驚いたように影がこちらを振り返る。一瞬張りつめた緊張が走るが、それでもここまで来れば影が見慣れた少年であることに気がついてゼロスは張りつめていた肩を落とした。 相手も同じようで、こちらを射抜くように見た視線が瞬きひとつの間に柔らかな色へと変わる。 「何してるんだ?」 「ロイドくんこそ見張りサボって何してんのよ」 いつも通りの調子でかけられた質問に質問で返せば、隣に来るようにひらひらと手招きをされる。呼ばれるままに自分よりも少し低い肩の位置に並ぶと、すっとグローブをはめたままの指が稜線を指さした。 「朝焼け。待ってたんだ」 誘われるように黄金に朱を混ぜ足したような色が今にもあふれ出しそうな空に目を細める。 「シルヴァラントでもテセアラでも、朝焼けの色は一緒なんだって思うと少しだけ変な気分だよな。ここは俺たちからしたら空に浮かぶ月の国なのに、同じ色の太陽が同じ方角から昇るんだ」 「ロイドくんって意外に詩人ー」 内心反吐が出そうになる。そう嘲りながらも口調だけはいつものスタンスを崩さずに笑うゼロスに力の入っていない肘がぶつけられた。 茶化すなよ。そう否定する声は酷く穏やかで、子どものように輝かせた瞳を輝きを増し始めた空との境界に向ける。 「ゼロス、ほら、始まる」 弾んだ声と同時にあふれ出した光にまるでのみ込まれるような錯覚さえ覚えて、ゼロスはあたり一面が白光する瞬間思わず目を瞑った。それでも瞼裏をやく温かさにそっと瞳を開けば、鳶色の瞳が笑っていた。 「俺、この瞬間が好きなんだ。これ見てるとさ、何でも出来そうな気がする」 「へぇ」 新しい一日の始まりを望んだことさえなかった自分にはその気持ちはどうにも理解できそうにない。夜遊びから屋敷に帰る道を染め上げる朝日はいつも、無為な一日が始まることを報せるものでしかなかったから。 (くっだらない一日の始まり) だから今、希望を口にしながら硬く握り締められたロイドくんの拳を見咎めて、莫迦らしいとさえ思っていた。 何でも出来る≠ネんてただの世迷い事だ。どう考えたって今日も一日歩くだけ歩いて、野宿をする。それが判っているから力不足の自分を嘆く代わりに拳を握り締めているのだ。 これでもし、コレットを天使疾患から救う術がこの世界になかったらどうするつもりなのだろう。 光の裾野が野営地を越えていくのを振り返って、ゼロスは陽光に溶ける薄色の羽根に瞳を細める。少女は先程と寸分代わらずにこちらを見上げていたままだ。瞬きすら満足にしないその様子に一体何が楽しいのかと思った瞬間に、ロイドを見ているのだと直感する。 慌てて視線を辿れば、ロイドも真っ直ぐにその姿を見つめていた。 揺るがない鳶色の瞳に小さく嘆息して。大げさに肩をすくめてみせる。きっとこの子どもの頭の中に諦めるなんて単語はありはしないのだ。求める答えが見つかるまで、真っ直ぐに進み続けるに違いない。 (少しだけそれが羨ましい) 思ってもいなかった感想が漏れて、ゼロスはまさか口に出してはいないだろうかと冷えた唇を覆うように拭った。どうも無意識のうちに自分も感化されていたらしい。なのに悪い気がしないのだから始末が悪い。 「…ま。今日も一日頑張るしかないってな。コレットちゃんにも早く元に戻って俺さまとお話してもらいたいし?」 「たまにはいいこと言うなぁ、お前」 「ちょ、ひと言多くない?」 「そうか?」 悪戯っぽく笑いあえば、強い朝の日差しで目覚めた仲間たちの姿が見えた。 |
The Great Beauty |
2010年12月再録書き下ろし |