Diamond Ф Bangle

 乾いた鐘の音が星喰みに食い荒らされた空に響いて、ユーリはゆっくりと音源である人だかりを振り返った。


「わぁ。ユーリ、結婚式ですよ!」
 白魚のような指を胸の前で合わせたエステルが少女らしく瞳を輝かせて、いつも穏やかな声を華やがせた。
 その声に鐘の響いた方角を振り返れば、確かに皆小奇麗に着飾って中央に立つヴェールの女性を寿いでいるのが見える。レイヴンは、へぇ。と小さく感心したように灰碧の瞳を細めた。
 ハルルの木の下で行われているその小さな式は、少女の言うところのハルルの花言葉である「永遠の愛」に因んだものであるのだろうことは想像に容易い。けれども、確かにこの降りしきる淡色の花弁の中で臨むそれは少女たちが憧れるには十分すぎるほどに美しい光景だ。
「この辺の結婚式は最後に花嫁がみんなに砂糖菓子を配るんだよ」
「なによ、がきんちょの癖によく知っているじゃない」
「そりゃね」
 子どもらしく胸を張ったカロル少年が、チョコレートカラーの瞳を輝かせて年嵩の少女たちにねぇだから早くお菓子を貰いに行こうと誘いかける。
 でも、と僅かに勝手をすることに躊躇いを見せるエステルに青年が僅かに頬を緩めた。
「カロル先生は自分が喰いたいだけだろ?」
「そりゃそうだけど…だって、ユーリだって食べたいでしょ?あの砂糖菓子って花びらを練りこんで作るからいい匂いがしてさー、すっごくあまいんだよねぇ」
 落ちるはずも無いほっぺたに小さな手を添えて、その味を反芻するようにうっとりと瞳を閉じる仕草を真正面から見てしまってレイヴンは思わず眉根を寄せた。
 子供時分、自分も花嫁が配るあのばら色の菓子が欲しくて走って行った経験はあるのだが、どう思い出してもあの菓子が頬を蕩けさせるほど美味かった記憶などない。(それ以前に元々甘い菓子が好きではなかったのにどうして貰いに行ったのかは今でも謎だ)
「そうだな。じゃ俺の分も頼むわ」
「はい!任せてください!リタ、行きましょう。もっと近くで見てみたいです」
「へ?ええええええ、ちょ、エステル?!」
 コーラルピンクをふわりと揺らして、優雅なステップを踏むようにエステルが戸惑う天才魔導少女の手を取って駆け出せば、その後を少年が追うように走ってあっという間に三人の姿は、幸福そうな笑みを浮かべる二人を寿ぐ人の群れに紛れてしまった。
 さすが年頃の女の子、皇帝候補とか皇族だとかそんなものとは関係なしにやっぱりあぁいうものに憧れたりするものなのかねぇ。おっさんにはわかんないわ。
 そんな、いっそ羨ましい程の憧れや夢や希望にレイヴンはそっと、左胸に指を這わせる。硬い心臓魔導器の感触にもう以前のように顔を顰めることは少なくなっていたけれど、それでもこんな自分が決して手に入れられないものを目の当たりにしたときには確かに抉られたはずの左胸が微かに疼くような気がするのだから質が悪い。
 口元に小さな自嘲を刻んで、気分を変えようと顔をあげたところでレイヴンは思わず目を見張った。
「―――――――」
 長い髪が淡色の風に攫われるのも構わずに、微かに暗紫の瞳を細めて一点を見つめている。
 青年よりも少しばかり低い目線でその先を追いかければ丁度、人垣が割れて件の花嫁が真っ白な三段ヴェールをハルルの花びらに揺らして、夫となる青年が差し出した手のひらに細い指を絡めたところだ。
 熱心にその姿を追う横顔にレイヴンは僅かに首をかしげて声をかけた。
「青年もこういうのに興味あったのね〜って、お年頃だもんねぇ」
「はぁ?…まぁ結婚式とか初めて見たからな」
「えっそうなの?子どもの頃にやんなかった?花嫁にブーケ届けにいくのとか」
 子どもなら誰もが憧れる結婚式の大役を口にすれば、細い肩が大げさに竦められる。
「下町じゃそんなご大層なことしねぇからな。指輪贈りあったり綺麗なヴェールなんて、下町じゃ夢物語にもならねぇよ」
 暗紫の瞳が柔らかな色をたたえて、しっかりと手に手を取り合ったまま口づけあう二人からゆっくりと視線を逸らした。
「子どもはみんなあぁして互いの手を重ねる姿に憧れるもんだ」
「青年も?」
 将来誰かと手に手を取り合う姿を想像する小さなユーリを思って顔をほころばせれば、親なしにはそんな暇なんてねぇよ。と小さく返された。
 彼自身今更な現実になにか意味など持たせて放った言葉ではないだろうことはレイヴンにも分かってはいるのだ。けれどなにかフォローをしなくてはと思うのだが、うまい言葉が見つからなくて焦る。 時折淡色の花びらが舞い上がるのを見上げて、結局いつもの軽い調子で受け流せばよかったのだと後悔するが、今更どうにもなりそうもない。
 まんじりともせずに青年を見上げれば、にやりと笑って額に手刀をひとつ落とされた。
「…変な顔すんなよな」
「…そんな顔してる?」
「してるしてる。あーもー俺、おっさんの陰気臭いの当てられて可哀相ー」
「ちょっと、青年ー。おっさんだってね!色々―――」
 言い募ろうとしたところで、遠くさんざめくような人のざわめきを超えて良く通る高い声が青年の名前を呼んだ。二人同時に顔を見合わせてそちらを振り向けば両手にいっぱいの花菓子を握り締めたお子様たちが、花嫁の前でこちらに向かって大きく手を振ってユーリのことを呼んでいるのが見える。
 ひと言ふた言、エステルが花嫁に何事かを伝えれば白いヴェールに包まれた小柄な花嫁はこちらに向かって深く一礼をした。ユーリはそこでやっと何かに気がついたように笑って人垣に向かって歩き出す。
 地面の淡色が歩くたびに舞い上がって、長い髪がゆるい風に揺れて。
 それが錯覚である事ぐらい分かりきっているのだけれど、まるで花嫁の元へと向かう新郎のような光景にレイヴンは思わず青年を呼び止めた。
「ユーリ!」
 幸せになりなよと、声をかけようとして続きは出てこなかった。
 あんな、手を汚すことばかりじゃなくて、その手が紡ぎ出す幸せを掴みなよと。思って想って、結局ひと言も言葉に出来ずに口元を歪めるように笑った。
 不思議そうな顔でこちらを一瞥する青年の顔を見上げながら、お前さんはきっとそんな未来は選びはしないのだろうと心の中で呟いてレイヴンは何時ものおどけた様な笑みを今度こそその頬に貼り付けた。

「…いつかおっさんの手も優しく取ってね!」



せに
   
どうぞ
         
永遠